17日付け朝日新聞大阪版夕刊にシリーズの「関西遺産」というコーナーがあり、関西弁で七を「ひち」と呼ぶことについて大きく取り上げられていた。
大きな写真は天神橋筋七丁目商店街で、アーケード正面の大きな看板には「てんひち」と書かれていた。
それに対して意外に思ったというか、半分腰を抜かしたのは本文中の京都の七条商店街振興組合理事長で、「ななじょう」との対応の話ではあるが、「しちじょうを守りたい」と答えていた。
関連して、七条通り沿いの店10軒では、「しちじょう」が4軒、「ななじょう」が5軒、「ひちじょうかしちじょう」が1軒ということだった。
大阪では、かつて質屋の看板は「ひち」と大きく書かれていたから、その感覚からすると京都の七条は「なんと矜持がないことよ」と思ってしまう。
「ななじょう」のことは置いておく。
こんな記事を書くのも、2011年のことを思い出したからである。
当時、土曜か日曜の特別版に文芸かなんかの著名人の寄稿がシリーズとしてあった。
その中で、上方唄(端唄)の「松づくし」が載っていた。
先ずはその歌詞を書いてみる・・・
一(いっ)本目には池(いけ)の松
二(に)本目には庭(にわ)の松
三(さん)本目には下(さ)がり松 四本目には志賀の松 五本目には五葉の松 六つ昔は・・ 七本目には姫小松・・・・
で、なんとその七本目に「しち」とルビが振ってあったのである。
お気づきのとおり、「い」と「い」、「に」と「に」、「さ」と「さ」と掛けていくのであるから、姫小松に掛けるためには「ひち」でなければ成り立たない。事実、東京であってもこの歌は「ひちほんめ」と唄う。
私はこれは筆者が付けたルビではなく、朝日新聞東京本社の校閲部あたりが付けた大失策だと考えた。
想像だが、普通に大新聞が七にルビを振るだろうか。思うに、もしかしたら著者は正しく「ひち」とわざわざルビを振っていたのではないだろうか。だとすれば、至極当然で著者の心配りさえ感じる。
それを、校閲部あたりの馬鹿者が、「こんな間違いは通せない」「標準語を教えてやらなければならない」「でないと朝日の権威が失墜する」などと思い違いをして、「しち」というルビになったのでは・・・などと想像するのは的外れだろうか。
なので私は、朝日新聞大阪本社宛にファックスでその誤りを指摘し、電話もした。
しかし、朝日新聞からは私あてに何ら回答もなかったし、そのシリーズの続編で訂正等の記述もなかった。
なのでそのとき、朝日新聞には「誤りを素直に認めない傲慢さがある」と私は記憶した。
「ひち」の話は、井上章一さんの「京都ぎらい」にもあったから、出版元の朝日新聞出版にもこの経緯(いきさつ)を読者の声欄にメールした。
朝日新聞はもう少し謙虚になるべきだ。「七」という漢字が「しち」だというだけの理由なら、大阪の「十三(じゅうそう)」は「じゅうさん」とルビを振るのか。
17(じゅうひち)日の記事を読んで、忘れていたそんなつまらないことを思い出した。
上方文化に造詣の深いひげ親父さんはどのように感じられているのでしょう?
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