2016年8月5日金曜日

字源の俗説

 金八先生演じる武田鉄矢が「人という字は人と人が支え合っている字」という名セリフは、文字学的には全くの的外れであるが、社会・倫理の話としては上手くできている。

 匡(ただす)という字にも少しそれによく似た話がある。
 最初に正しい文字学を紹介すると次のようである。

   「匡(ただす)」には「王」の字形が含まれてる。
 これは「匸」と「王」を合わせた字形。
 「匸」は見てのとおり、囲われた場所、秘密の場所。
 「王」は「旺」と同様に「王」の上に「止」(之)をのせた形で、王位の象徴である鉞の刃の上に足をのせ、その強い霊力を身につける字形。
   なので「匡」は王の鉞の刃の上に足をのせて霊力を身につける儀式(ぎしき)を秘密の場所で行い、それで得た霊力で、敵を征服(せいふく)して正し、王の命令をあきらかにする文字。
 だから「匡」に「ただす」の意味があり、また「まさし」の読みや「はこ」の読みもある。(引用おわり)

 私が若い頃、職場に匡という名の大先輩がいた。
 「この字を知ってるか」と言って説明してくれたのは、「王さまを正しく諫めるには四方八方から論破してしまってはあかんのや」「王様がプライドを保って方針変更できる一方向は開けておいてあげるのや」「そやから四角に囲まずに一方向だけ開けてあるんや」というものだった。
 俗説ながら金八先生のそれに似て味があった。

 そしてそれは、労働組合の若い役員として大先輩である管理者とやりあうときに時々思い出したものでもあった。

 そんな大層な話でなくても、親しくない人々と社会や政治の話をするときに、論争をして論破しても心から理解してもらうことは難しい局面はいっぱいある。
 その人の頭の中で、心の中で納得してもらうことは難しいが、それが一番大事なことだ。
 匡の俗説ではないが、メッセージの伝え方について反省することは多い。

1 件のコメント:

  1.  あまりに昔のことなので、匡氏の苗字を失念したままこの記事を書いたが、これを読んだ妻が「Tさんやった」と思い出してくれた。人情味の溢れる大先輩だった。

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