国会が始まり、予算委員会の始まりの始まりに自民党の進藤議員、「伝統的な数え方でいえば今年は皇紀2676年」との言葉から今年が始まった。
つまり、紀元前660年に神武天皇が即位したという。
因みに、その話の前提となる日本書紀では、16代仁徳天皇までの歴代天皇の年齢は、127歳、84歳、67歳、77歳、114歳、137歳、128歳、116歳、111歳、119歳、139歳、143歳、107歳、49歳、111歳、143歳という。
これは人間の寿命ではない。だから「日本書紀はそう書いている」と言うことであれば何の異議もない。しかし、これを歴史的な事実、真実と教えたのが戦前の皇国史観であり、軍国主義のバックボーンの思想であった。
なにが「伝統的」なものか。明治から昭和20年までのおよそ80年は、日本歴史の上に咲いたあだ花であった。
真実を真実と語ることを禁ずる狂気の時代であった。
廃仏毀釈で寺院を打ち壊し、神社にしても村の鎮守の神様を壊して統廃合した時代であった。
この時代を「伝統的な社会」の見本とするなら、小林多喜二が拷問で殺されたのも、婦人に参政権がなかったことも、オキナワもヒロシマもナガサキも称えるべき歴史になる。
という性格のことを国会議員が発言したことの意味は大きい。
それを受ける側の安倍首相は本格的に憲法改正をしたいと答え、「緊急事態条項」なる「戒厳令」を新設するという。
重ねていうが、彼らの主張は日本文化の伝統などでは決してない。
こういう狂気ともいえる軍国主義者を「アホな奴」「アホな発言」と軽視してはならない。・・ということこそが戦前の歴史の教える教訓だ。
※ 前660年(神武元年)を縄文時代と見るか弥生時代と見るかについては考古学会でも論争があるが、弥生時代に分類したとしてもその開始期だろう。その「文明」の歴史的意義を過小評価する気はさらさらないが、少なくとも後の天皇になぞらえる大王の出現は古墳時代直前(早くて西暦200年代)まで待たなければならない。それが事実を誠実に承認する大人の教養だろう。
それが建国という概念に合致するかどうかはさらに別の問題である。
大日本帝国は、ただただ日本書紀の記述に基づいて紀元前660(辛酉)年1月1日を皇紀(神武)元年にしたわけです。
返信削除明治6年に「それ(1月1日)は太陽暦の1月29日だ」としたのですが、翌7年「計算間違いだったから2月11日だ」と改められました。
以上、日本書紀の記述が歴代天皇の年齢からもお伽噺であることは本文のとおりですが、かてて加えて進藤議員は太陽暦の「今年」を2676年と言ったのも噴飯ものです。日本書紀を引用するなら「今年の2月11日以降は・・」と言うべきでしょう。という話の内容に何の学術的意味もありませんが、彼の論理が軽薄極まりないという証左のため申し添えます。