2016年1月16日土曜日

明日は1.17

  先日、昼の11時少し前に「洋食の店もなみ」に入ったら、開店早々の一番客だった。
 いつもなら外にお客さんが行列をつくっているのに、さすがに11時前だ。
 そんなもので、オーナーシェフと「ついこのあいだ元日だったのに時の経つのは早い」という話になり、「もう日曜には1.17だ」という話になった。

 この店は元々六甲道で有名な店であったが、阪神大震災で壊れ、廃業を決意していたのがファンの熱い声援で大阪で再出発した店である。

 なので、私が「JRで大阪駅を西に行くと街が綺麗になった」と言うと、オーナーは「美しい街が借金の固まりのように私には見える」と意外な回答。
 オーナーの商売人仲間や、融資を回収できない銀行に勤めた友人の話など、美しい外形の底の未解決の悩みを語ってくれた。
 高齢者の二重ローン問題、借り上げ住宅からの追い出し問題も解決していない。
 難しい議論をしたわけではないけれど、直接の被災者の吐く言葉の重みのようなものを感じた。

 そういえば、あの年、北河内の某消防署の「防火管理者」の講習を受講していたとき、講師が講習の本筋から離れて神戸に応援に行った経験を話し、「停電もしていて、地獄のような現地から東の方を見ると、淀川の向こう側(大阪)には煌々と電気がついていて嘘のようにショックだった」と涙を浮かべ声を詰まらせて語った状景を今も思い出す。
 
 あれから21年。オーナーシェフは「毎年のように神戸に向かって黙とうします」と語ってくれた。
 それにしても、追悼の向こうには災害に強い街づくりの知恵の抽出が必要だが、先に交通事故で亡くなった貝原元知事の「大都市は市民を守り切れない」、「災害に強いのは中都市農村だ」との言葉が、頭の中で未整理ながら今も印象に残っている。

 さて、おおさか維新の松井知事は、地震欠陥ビル(大阪府咲洲庁舎)に対策本部を設置するつもりだろうか。
 防災の第一人者・河田恵昭先生は「大阪都構想には防災の観点が全くない」と指摘されているし、喫緊の地下街対策も無策で来ている。
 日本列島で見れば海岸に原発を並べて順に再稼働を予定している。
 このことに向き合わないと、「忘れない」も「語り継ぐ」も空虚な言葉に終わってしまう。
 「大変な時に頑張った」、「助け合った」という美談でストップしたのでは語り継いだことにもならないと私は強く考える。
  
 1.17から数週間後、伊丹から九州に向かう飛行機から見た被災地はブルーシートばかりだった。ラジオは延々と行方不明者の安否情報を繰り返していた。
 あんな光景を二度と見ないで済むように(といって3.11を見てしまったが)、利益だ効率だ・・・有り体に言えば利権だという政治を止めさせ、安全な街、安心のコミュニティーを目指す政治に変えていかなければならないのではないだろうか。

4 件のコメント:

  1.  今日は1月17日日曜日ですが、21年前は火曜日でした。私が体験した阪神大震災をコメントたさせて頂きます。
     21年前の1月16日(月)は、仕事で同僚と一緒に神戸に出張する予定でした。それで、16日は神戸の三宮のぼろいホテル(お金がないから)に予約していました。出張に出かける数日前に相手方から16日は都合が悪い、別の日にしてくれとのことで、前の週の1月13日(金)に変更しました。ホテルは安いだけあって、ぼろいホテルでした。16日晩方には三宮の飲み屋に出かけて、ばったりと神戸の同僚数人と出会いました。一人の神戸の同僚は、「家立てたから、金かかるねん。」とぼやいていました。
     神戸では何事もなく無事高知に帰って来ました。そして、17日の早朝こちらでも激しく揺れました。テレビを付けるとNHK神戸放送局の散乱した場面だけが映っていました。いろんなことを含めて本当に衝撃でした。後日神戸の同僚に家の被害の状況を聞くと「建て替えた方がましぐらいの被害にあったが、怪我はなかった。」とのことでした。今後予定されている「南海地震、東南海地震、東海地震」には、出来るだけ被害が少なくなるように努力しています。

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  2.  そんなことがあったのですね。
     ひとりひとりの方々にとっては、いつも通りそこにいた人のほかに、たまたまいた方、たまたまいなかった方がおられたのですね。そして、たまたまおられなかった等で助かった方々の中には「私だけが助かって申し訳ない」という心的ストレスが残ったとも言われていますね。
     今のところ大地震は止められませんが、より安全な街、事後対応ができる街を造ることはできることです。
     そのためには、公共の仕事というものにまで「市場に任せれば効率的で効果的な仕事になる」という『新自由主義』『規制緩和』『公務員定数削減』を止めさせなければなりません。

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  3.  飲みに行った日は、1995年1月13日の間違いです。16日の予定通りであれば、私も同僚も震災で被災したかも分りませんでした。間違いのコメントばかりですみませんです。今後コメントさせてもらう場合は、読み直すことにさせて頂きます。正確さをなくすことは、ぼけ老人の始まりです。長谷やんの言われるとおり、公共工事を市場に任せることは、手抜き工事と談合をを増やすことだけです。

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  4.  16日の件(くだり)は頭の中で「13日やろうなあ」と読み替えて理解しておりました。あはは。
     バラやんのおっしゃるとおりです。
     スキーバス事故にしても、ツアー会社等が頭を下げているところばかりが放映されますが、テレビ局社長が「規制緩和が善だという誤報を流して世論を誘導した誤りをお詫び申し上げます」と頭を下げるべきではないでしょうか。
     

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