2015年5月30日土曜日

大事にしたい

  国会で「戦争一括法案」とでも呼べそうな法案が審議されている。いや、審議というよりも「最後は多数決だもんね」というような首相答弁で議会制民主主義も瀕死の状態だ。
 大阪ではつい先日住民投票が行われたが、安倍首相は橋下市長に多くを学んだような気がしてならない。
 つまり、まともな議論が深まれば法案の危険性が明らかになるから、抽象的で非論理的な主張を、言葉としては断定的に自信を持って繰り返しさえしておれば世論は騙せるという教訓(橋下市長はその作戦で49%強を獲得した。)と、短期決戦(いわゆる大阪都構想は堺市長選挙前には70%近い支持があったが議論が深まる中で住民投票は反対多数となったことを反面教師に)を学んだのではないか。
 安倍氏も橋下氏も硬軟取り混ぜた怖ろしいほどのマスコミ対策を図ってきたことも共通している。
 こういう状況を見ていると私は、戦争というものはじっくりと議論をして「我が国の行く道は戦争しかない」という風に始まるものではないということをしみじみと再確認する。そして、イラク戦争当時のことを思い出す。
 全てのマスコミが「フセインは大量破壊兵器を持っている」と大合唱する中で、私も小型の核兵器か何か非人道的兵器を使おうとしているかもしれないと信じた。
  そして日本は自衛隊を派遣し、帰国後その自衛官たちは異常な高率で心を病んで自殺している。(別掲)
 しかもイラクと中東は、米国等の投入した大量の兵器を相互が使用して地獄の様を呈している。
 こういうイラク戦争の直接の契機となった「大量破壊兵器」の情報は誤りであったと、当時のブッシュ米大統領やブレア英首相が認めているのに、日本政府は未だにその誤りを認めておらず、米国に対して説明すら求めていないことが共産党志位委員長の国会論戦で明らかにされている。
 日中戦争~太平洋戦争の歴史で有名な教訓は、多くの本に書かれていることだが、政治家も軍人も誰もが無責任だったということだ。(藤井聡氏に言わせるとそれが全体主義の特徴と言われている)
 自分にとって嫌な想定は考えたくないという思考方法は人の性とも言われているが、藤井氏のもう一つの指摘は、思考停止した庶民が結局そういう軍国主義・全体主義を完成させるのだ。
 近代史を学べば今が「戦前」であることは明らかだが、ただし、70年前は非合法とされていた共産党や民主主義を守る多くの運動が現にある。そしてSNSも持っている。だから、これらを大事にしたいと私は思っている。

0 件のコメント:

コメントを投稿