この頃は身辺に「待ったなし」の世事が増えてきたが、「待ったなし」は自然界の方がシビアである。
世事がひと段落したので奈良の吉城園に行って見たが、予想どおり(私は予想外を期待して行ったのだが)モリアオガエルの卵があったものの親蛙の方は見つけられなかった。
庭師の方に尋ねると、「1、2日前から求愛の声がいっぺんにせんようになったな」ということで、「森へ帰ったようや」と。
そして、「卵がオタマジャクシから蛙になって森へ帰って行くまでにもう一度来てみてください」と、・・なるほど、その手があったか。
しかし、池にいる蛙なら、考えようによってはただのアオガエル。やはりモリアオガエルは木の上あたりにいないとモリアオガエルらしくない。・・というのも人間の我儘な感情か。
そもそもモリアオガエルの卵といえば池の上に伸びた木の枝にあっての風情。
「何であんな下の方に卵があるのんですか」と尋ねたら、1~2年前に樹木を伐採して、池の上に伸びる樹木がなくなったそうだから、何もかも人間の我儘ばかり。
庭師曰く、「親蛙になりたてのその頃は蛇と蜥蜴の格好の餌になる」とのことで、自然界はシビアで残酷なものらしい。
だから、雨の夜などに一斉に森に帰って、ある朝池は空っぽになるとのこと。
そんな光景を見ることは絶対に訪れないだろうが、想像するだけで心が楽しい。
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