OB会の年次総会と「元職場の退職者をおくる夕べ」があった。
その「夕べ」だが、私が例によって薬玉(くすだま)を用意した。
近況報告以外にも、『朗読』があったり、『合唱』があったり、何人かが少しずつ「工夫」を持ち寄った。
閉会はブログ仲間のひげ親父さんが某劇団から本物の拍子木を借りてきて、めでたく『大阪締め』で締められた。楽しい「夕べ」であった。
さて、「夕べ」の冒頭を飾った「薬玉割り」の薬玉についてはこのブログで何度も書いてきたが、古代中国の「薬草を束にして飾って邪気を払う」祭事が古代日本に伝わり、それがだんだん装飾が豊かになり、仙台七夕の薬玉にまで変化したものらしい。
ただし、仙台七夕飾りのうちの薬玉は戦後すぐに考案されたもので、ルーツとしては新しすぎ、枝分かれをした別の枝の「進化形」のひとつと考えられる。
それにしても、それがパカッと割れる薬玉に劇的に変化した起源は相変わらず判らず、私は何かモヤモヤとしたままだった。
そこで近くの図書館で調べているうち、大部の「小学館日本国語大辞典」の中に『百鬼園随筆1933〈内田百閒〉進水式「軍艦の胴体を繋ぎ止めた最後の綱の端が〈略〉黄金の槌を以って打ち断たれたのである。大きな薬玉(クスダマ)が割れて、鳩の群れが出鱈目の方向に乱れ飛んだ』という記述を見つけた。
そこで、ネットで追うと、それは横浜造船所のことで「薬玉を割って鳩を飛ばしたのはこれが世界で初めて」とあったが、文脈からすると、「割玉型薬玉の世界初」というよりも「鳩を入れたのが世界初」のように思えるのだった。
そこから、「軍艦」「進水式」をキーワードに調べを進めると、国立国会図書館レファレンス事例詳細〈質問〉「進水式やお祝いにおいて薬玉を割るようになった時期」というのが出てきて、その〈回答〉に「明治15年に進水した軍艦「海門」の進水式で薬玉が飾られたとの記述が複数あり、・・・・それ以前は調べたが判明しなかった」とあった。
だとしたら、「明治」の「軍艦」「進水式」なら、造船技術とともにセレモニーまでを欧米に学んだことは大いに考えられることで、欧米にルーツを探ってみると、スペイン起源、故にメキシコなど中南米で盛んな『ピニャータ』というものに辿り着いた。それは、古くは宗教性もあったもので、いろんな形をしているが薬玉の原理と同じ篭にあめ玉などを入れ、それをスイカ割りの要領で叩き割って楽しむものらしい。
これで辿り着いたと思ったが、さらに『ピニャータ』を追いかけると、マルコポーロかどうかは怪しいが、起源は中国にあると書いてあるものが多く、「結局古代中国かい」というようになった。
私としては、明治初期の日本の技術者が、欧米の進水式にヒントを得て、日本古来の薬玉を劇的に進化させて、船の完成を祝うとともに、邪気を払ってその船の安全な行く末を祈ったものと考えたい。だからこそ、『ピニャータ』系の名前でなく、『薬玉』なんだと思う。
さらに、薬玉から垂れ幕が下がるというのは「縦書き文字」の文化としか考えられないから、吊るされた篭を割る、そこから飾り物と一緒に垂れ幕が下がる、・・という薬玉は、東アジアでいち早く工業化を進めた近代の日本人の発明・技術革新に相違ないと確信するに至った。
故に、〝薬玉を世界遺産に”などと自分で言って笑っているのである。
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