2014年2月13日木曜日

戦争責任に向き合ったドイツ

ドイツの第6代大統領
ヴァィツゼッカー
キリスト教民主同盟
過去に目を閉ざす者は
結局のところ現在にも盲目となります

(荒れ野の40年)
  テレビで観ていた何かの映画に、NATO軍の前線のようなシーンがあり、フランス兵とイタリア兵の様な数人が駄弁っていた。
 その軽い会話の中で、「ドイツ兵は〇時〇分にここに来るようになっている。」と腕時計を見て、「〇時〇分だ。」と言ったとたんに、ドイツ兵のジープが背後にピタッと停まるというのがあって笑った。
 監督が『糞まじめなドイツ人』をおちょくったに違いない。
 ところで、自分たちでは「日本人の生真面目さも世界で有名。」と思っている日本人が多いが、いま世界では「不真面目だ。」との評判の方が高いようだ。
 国会では、「靖国神社は太平洋戦争を自存自衛・正義の戦争と主張する施設。『正義の戦争』は間違いだと言えるか。』と共産党の笠井議員が質問したが、安倍首相は、「歴史認識は歴史家に任せるべき。政治の場で申し上げることに謙虚でなければならない。」と答弁。
 「謙虚」という言葉を使った不真面目な答弁でなかろうか。
 橋下氏や籾井氏の「戦場での慰安婦はどこの国でもあったこと。」と居直った発言と同じ質である。
 
 先日の石川康宏先生の講義では、数々の事実をもって慰安婦問題や改憲問題を学んだが、その中に、「ドイツと日本では戦争責任に向き合う姿勢に雲泥の差があった。」「ドイツの1968年の学生運動は『親や祖父母のナチ時代の行動を問い直す』という、つまり、市民一人ひとりの責任を問うという厳しい運動が広がった。」とのこと。
 同じ時代に、私は労働運動の隅っこにいたが知らなかった。自分の勉強不足にがっくりきた。
 だが、いま教えてもらったのだから今日の我が国の運動にその観点を忘れなければいいだろう。
 新しく学び、自分を変える課題に終わりはないし、近頃はスタート台の気がしている。
 ネットを繰ってみると、ドイツ在住のジャーナリスト永井潤子さんの『戦争責任に向き合うドイツと目をそむける日本』 http://www.jca.apc.org/taiwan-ianfu-support/support_group/2006/06.4nagai_junko_speech.html という講演記録があった。
 また、ヴァィツゼッカーのあの有名な演説「荒れ野の40年」 http://www.asahi-net.or.jp/~EB6J-SZOK/areno.html もあった。
 ヴァィツゼッカー大統領は右派のキリスト教民主同盟出身であるが、「荒れ野の40年」を読み返してみると、今でもその誠実さに胸が熱くなる。
 そして、この国の与野党を問わず歴史に向き合わない少なくない政治家等の言動に、同じ年月を歩んだ国どおしなのだろうかと悲しくなる。
 ドイツ風に言わせれば、過去に学ぼうとしないことが罪なのだ。

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