2014年2月24日月曜日

本の神様

  世の中には不思議なことがあるもので、書棚を整理し始めたら同じ本が出てきた。
 もっと本気で整理をし始めたら、さらに出てくるような気もする。
 何十年も昔、こういうことが初めてあった時には大いに驚き「ついにアルツハイマーが起こったか」とショックを受けたが、今では、本の神様がもう一冊贈呈してくれたに違いないと思うことにしている。
 なぜなら、読み始めてすぐに「あっ、これは読んだわ。」というのなら腹も立つが、2回目も最後まで読んだ本がほとんどだからである。
 確かに、「こういう言い回しは読んだことがあるなあ」と思った箇所はあるが、「同じ著者の別の本で読んだのかなあ」と納得していた。
 如何に1回目の乱読が頭に残っていなかったのかという証拠であるが、このおっちょこちょいさは昨日今日のことでないからあきらめている。
 実際、以前に読んだ昔の本を取り出して読んでみて、今頃感動することも少なくない。
 書棚は、例えば考古学関係とか中世史とか、日本語、料理、昆虫、歳時記等等々に分類はしているつもりだが、結果がこうだから偉そうな顔はできない。
 ということは、私の書棚というのは、形式的には私の読んだ本が並んでいるのだが、実質的には、何か考えるときに役に立ちそうな本を念のため並べているものと言ってもよい。
 中には、「これはそのうちに読んでおかなければ」と思って買ったがそのままというものもある。
 妻は「もったいないから図書館を活用すればいいのに」というが、私の場合は本気でモノを考えるときには図書館やネットでは上手くいかない。
 関係しそうな本を体の周りにおいて読み比べるという作業がないと考えがまとまらない。
 というほど考え込んだりはしていないが。
 内田樹氏の『書棚は僕たちの「あらまほしき知的・美的生活」を図像的に表象するもの。書棚は僕たちの「理想我」である。』という言葉で飾って、己の乱読と健忘を棚に上げている。

3 件のコメント:

  1.  この記事に「私もあるある」というコメントが来るかと思ったが来なかった。
     つまり、私の健忘症は明らかに突出しているようで、少しショックを受けている。

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  2. そう結論を急がんように!私もその傾向はあります。特に古本雑誌は場所違いの古本市で3冊同じものを買ったことがありました。

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  3.  ははは、ようやく御一人が自白されましたか。
     あとの御同輩は、しっかり者? もしかして嘘つき?

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