10時開始を9時半に到着したがすでに150番だった。 50人ずつ現地に入っている。 |
私の使ったのは近鉄天理線からJR桜井線というマイナーな路程のため、車内には一目でそれと察せられる・・・卑弥呼に取りつかれたような同輩がいっぱいだった。
今回の現場は、新聞報道的にいえば「卑弥呼の宮殿か?」と騒がれた前回調査地からJR線を越えた東側だが、一番興味のある建物Fは、南北3間、東西2間かそれ以上(調査地が限られているため不明)で、真北に対して4~5°西に振っており、かつその中軸線が先の騒がれた3世紀中頃の建物と一致している。
さらに、一部の柱穴が布留0式期の土坑に壊されていることから同時代のものとも考えられ、要するに3世紀中頃に、関連した居館がこれまで考えられていたものよりも大きな範囲で建てられていた可能性が出てきた。
またこの地には、この3世紀前半~中頃の建物群の後も、3世紀後半~4世紀前半の建物と区画、4世紀後半の区画溝、5世紀末~6世紀初頭の石張り区画溝が見つかったことになり、同じ地に、他に類をみない3世紀にわたって首長居館が重複して存在してきたことになる。
卑弥呼の居館かどうかは別にして、日本列島のクニと大王の誕生の地がこの近辺であることは間違いないと思う。
すぐ南側は、最古の前方後円墳といわれている箸墓古墳である。
なお、森浩一先生は、「卑弥呼卑弥呼と言わずに、記紀にいう垂仁天皇の纏向宮・珠城宮、景行天皇の纏向の日代宮、崇神天皇(御肇國天皇=初代天皇)の磯城の瑞垣宮を考えよ。」と主張されている。
水野正好先生は、「ここは卑弥呼の居館ではない。」「卑弥呼の居館はもっともっとすごいものであった。」と主張され、「邪馬壹国(やまとこく:とは上代特殊仮名遣いの乙類)の宮殿は大和神社の下にあるに決まっている。」と断言されている。(筑後の山門郡、肥後の山門郷のとは甲類)
万葉学者の上野誠先生は、「奈良大学では大和(畿内)説、故郷の福岡では北九州説を語るとみんなが喜ぶ。」と笑っておられる。
再生医療のような現実的価値があるかどうかは知れないが、こんな話を読んだり聞いているのはとても楽しい。
纏向の現地説明会が大賑わいになるのは有名なので、商魂たくましい農家が露店を出していたから大和薯(高級とろろ芋)を購入し、缶ビールをキューっとヒッカケて帰りのワンマン電車に飛び乗った。
思い付きのようなものだが、皇国史観の主張があまりに滑稽で権力的なものであったから、戦後の良識ある多くの市民は古代史などを無視してきたきらいがないか。
その間隙を縫って、驚くような復古的主張が歪んだ歴史観を伴っていま広がりつつあるように思う。
戦前という時代が、如何に日本の歴史の中で突出して歪んでいたかを、理性的な歴史観で語る必要性が増していないか。
私が最後の段落で言いたかったことは、先の長谷川三千子氏のNHK経営委員任命や、田母神氏60万票、朝日の出口調査の20代では宇都宮氏を抜いたといわれる状況を、直視して考えませんかということです。
返信削除ただし、例によってマスコミが舛添対細川という選挙劇場を大々的に報道する中で、いわゆる脱原発票が割れ、前回支持頂いた多数の有名人が細川氏についた下で、 宇都宮氏が前回よりも得票数も得票率も伸ばして第2位であったことは、市民運動、民主主義の未来は暗くないということを示したと思います。
「今度ばかりは勝てそうな細川で」と藁をも掴む思いで細川氏に投票した方々の切なる思いは痛いように判ります。
それだけに、後出しじゃんけん戦術かどうかは知りませんが、政策を語らず、クロス討論を逃げ、そのことでマスコミの報道姿勢の劣化を助長し、ワンイシューなる劇場型イメージ選挙に終始した細川氏は客観的にはこの国の民主主義に対して大きな害を残したと私は考えます。
引き続く脱原発等の市民運動のために、ノーサイドに際して一言だけ言わせていただきました。
昔、選挙で赤尾敏と言う右翼に代表される人々が立候補され「泡沫候補」と言われていました。が今回の田母神氏の60万票について日本のこれからがどうなるのか、「革新勢力」も真剣に考えて欲しいです。60万票は単なる「保守」では無いと思います。
返信削除欧米にも共通する右翼の台頭、長年の日本の教育の歪み、底の抜けた生活不安、権力によるマスコミ操作、等々いろんな角度から分析も必要でしょうし、何よりもその対抗策が必要でしょう。みんなが考え議論することが大切だと思います。
返信削除引き続き、いろんなご意見をお示しください。よろしくお願いします。
9/14の「東京新聞フォーラムよみがえる古代の大和」の記事を見て愕然としました。史料批判なき日本書紀そのままです。これが現在の学者でしょうか。戦後歴史学の成果はどうなったのでしょうか。
返信削除訂正9/20の記事です。
返信削除この種の講演会では記紀のとおりの事実があったように語られる先生や、記紀には一切言及しない考古学の先生がおられて、それも楽しいと思っています。
返信削除私は、白石太一郎先生や小笠原好彦先生が、考古学で実証しながら文献史学の諸事項と重ねて大胆に推論を提起されるのに好感を持っています。
そういう意味から、この頃は「記紀を全く馬鹿にしてはいけない」という気持ちが湧いています。もちろん、しっかりと史料批判をしたうえでのことです。
コメントほんとうにありがとうございました。