2024年9月21日土曜日

ヨーロッパは遠くない

    たまには大きな話もいい。

 日本共産党志位議長ら訪問団のヨーロッパ歴訪のことだ。
 過日、日本共産党は、ドイツのシンクタンク・ローザ・ルクセンブルグ財団、イギリス労働党・コービン前党首、ドイツ左翼党、ベルギー労働党、欧州左翼党、欧州議会、フランス共産党、服従しないフランス、フランスの緑の党などとの濃密な意見交換を行った。

 私は動画ではなく活字(赤旗で5頁)で読んだが、久々に読んでいて感動を覚える「報告」だった。
 活字が「しんどい」方は、JCPと検索し、この動画(志位議長の報告会)見て聞いてもらうとよい。

 ざっとした思い出を言うと、昔はヨーロッパではイタリア共産党やフランス共産党は大きな政党だったが、日本共産党の自主独立路線とは異なり、ソ連共産党寄り?の路線であったためソ連崩壊の影響を大きく受け一時期停滞していた。しかし、そういう過去の反省を克服して、今、各国で大きな存在感を示している。

 日本のニュースでは、ヨーロッパの政治はまるでNATO中心で展開しているかのように見えたりするが、今回の報告で、非常に理性的な左翼・進歩勢力ががんばっていることに新鮮な刺激を受けた。

 ウクライナの流血という惨事を前にしてのことだが、ただ軍事ブロックの強化・対立でよいのか、極右・排外主義の台頭に対して人権や自由をどう擁護するか、そして、平和や環境や社会保障や労働環境、それに大学授業料無償化などなどでヨーロッパの到達している水準、そういう社会的ルールを日本でもどう定め向上させていくか・・。興味は尽きない。

 特に労働時間を削減する課題は、エネルギーの削減ひいては環境問題に結びつき、雇用の拡大になり、家事労働の質を変えてジェンダー平等を推し進めるとの議論も楽しい。

 週32時間労働や4週間以上のヴァカンス、そして労働時間外には「つながらない権利」、・・「〇〇反対」だけではない楽しい目標、この報告を読んでいて目前の選挙政策が豊かになっていく。
 日本政府の金をばらまくだけの「外遊」に比べて、なんと実のある野党外交だろう。

 与党や「ゆ」党、それに一部労働団体などからの反共攻撃で野党共闘に一定の困難が生じていることは事実だが、将来には、日本共産党の積み上げてきたこういう野党外交が「与党外交」となって開花するに違いないと私は思っている。

2024年9月20日金曜日

温い(ぬくい)トマト

    大阪の大手前で某会の世話人会をしたときは、特段の支障がなければ谷町の居酒屋での反省会?へと流れることになっているが、夏のそんなときの「とりあえず」のアテの一つは冷たいトマトで、冷たければ冷たいほど文句はない。
 そんな私だが、猛暑の日中にもぎったトマト(我が家の場合はミニトマト)の、温い(ぬくい)を通り越したくらい温かい完熟トマトも大好きだ。

 この温かいもぎたてトマトは冷たいトマトとは別物の食材だと思う。
 この温いトマトが谷町で出てきたら文句の一つも言いたいが、庭で即口に入れるのは冷たいトマト以上と言ってもよい。

 ネットなどでは、温かいトマト料理が苦手だというのも少なくないが、もしかした既成概念が邪魔をしていないだろうか。
 トマトは皮をむいて種を取って食べる(皮ぐち種ぐちは下品だ)という人がいたが、遠い昔の「正しい」レシピはそうだった。
 ここに書いた「温いトマト」などもっての外と言われることだろう。
 でも言いますが、真夏の太陽に温められたもぎたてのトマトと、どっちが贅沢だと思われますか。

2024年9月19日木曜日

憲法改正論の本音

    自民党総裁選挙を見ていると、まるでこの国の喫緊の課題が憲法改正にあるかのようで、国民大多数の常識と相当ズレた人々ばかりだとあきれている。あきれると同時にそのギャップに背筋が寒く感じている。
非常に個人的な経験だが、かつて私は自衛隊の相当ハイレベルの方とご近所づきあいをしていたが、ある落ち着いた酒席で「やはり9条は変えるべきだとお考えですか」という話になった折、「変えるべきでない。9条の下での自衛隊が良い」とおっしゃったことに感銘を受けたことを思い出す。

安倍元総理は「憲法違反の自衛隊員の子、と子供がいじめられる」というような言動を吹聴していたが、なんとレベルの低い扇動だっただろう。
裏金、つまり選挙などの買収に使われた政治資金問題を見るにつけ、『法律を守ろうともしないものが何が憲法改正だ』と言いたくなる。

「攻められたらどうする」という問いがあるが、9条のある現憲法下でも自衛権はあるという考えが国民大多数の考えではないだろうか。政権交替で自衛隊解散などありえないと私は思っている。

「敵は本能寺」という言葉があるが、憲法改正論者の本心は「アメリカの要請に対して外国にまで出兵して血を流す」、「緊急事態を宣言すれば超法規的に法律や国民の権利を制限できる」というところにそのココロはあるに違いない。
 法律論でいえば、軍隊が明記されれば憲兵や軍事裁判が創設されることだろう。
 嫌な未来予想図だ。 

2024年9月18日水曜日

元から絶たなきゃダメ

    9
17日付け朝日新聞トップ記事の写真はスクープだと思う。
 2013年の参院選直前に自民党総裁室で自民党総裁安倍氏が萩生田氏らとともに旧統一協会会長、全国祝福家庭連合会会長、国際勝共連合会長、勝共連合幹部2人と親しく面談していた3枚の写真で、萩生田氏は「記憶にない」らしいが、『首相動静』の記録やさらには服装や着用していたバッジで朝日は「動かぬ証拠」としている。

 自民党は、総裁室で総裁が選挙直前に「面談はしたが選挙の依頼はしなかった」とでもいうのだろうか。朝日ははっきり「支援を確認する場だった」と裏を取っているようだ。
 それはそうと自公や衆院維新の賛成によって成立した改正政治資金規正法では、政策活動費の領収書は10年後に公表だが萩生田氏は約10年前のこのことを「記憶にない」とおっしゃっている。改正政治資金規正法のザルさ加減推して知るべし。

 さて統一協会は、「韓国はアダムの国、日本はサタンの血を引くエバの国」と言って、あくどい霊感商法で多くの国民を不幸の底に突き落としてきたカルト団体だが、以前に書いたが恐ろしい武装集団でもあった。
 
 例えば198753日憲法記念日の夜に朝日新聞阪神支局が襲われ小尻記者が散弾銃で殺害されたが、3日後の56日午前に朝日新聞東京本社に散弾銃の薬莢と、「とういつきょうかいの わるくちをいうやつは みなごろしだ」という脅迫状が届いている。(赤報隊事件)
 銃撃に使用されたものがレミントン社製と報道される以前に投函されたものだが、薬莢はレミントン社製の同型のものだった。
 1971326日衆議院地方行政委員会で後藤田正晴警察庁長官は、勝共連合と極めて密接な幸世物産が2500丁の空気散弾銃を輸入したことを認めているし、その後幸世物産は統一産業と名前を変えて、単発の空気銃を15700丁輸入したことが衆議院内閣委員会で明らかにされている。いずれも日本共産党の議員の追及の結果だ。

 このように日本の民主主義を蝕んできた統一協会と自民党はズブズブの間柄のため、一連の事件は公訴時効となっている。真夏の怪談話よりも恐ろしい。
 総裁選挙で表紙が変わってもこの内実は変わるはずがない。役者も劇団も同じだ。
 昔テレビCMで「臭い匂いは元から絶たなきゃダメ」というのがあったが、的を射ている。

2024年9月17日火曜日

秋刀魚焼く

    値上がりしたといっても秋刀魚は安くて美味しい。それに旬のものである。
 問題は秋刀魚をどうして焼くかだが、我が家ではシステムキッチンに付いているロースターはもう何年も使用していない。
 この頃利用しているのは写真のフライパン用アルミホイルで、その名のとおりフライパンの底に敷いてその上に秋刀魚を並べて普通にコンロで焼くだけ。
 これが、とびぬけて後片付けが楽な上に味も悪くない。
 こんなアルミホイル1枚であのロースターが全く不要になるから大変な発明品だと思う。

 フライなどの揚げ物を温めるのはアラジンのトースターだし、ほんとうにロースターは不要になった。

 くっつかない理由はシリコン樹脂加工らしい。
 調理にそんな人工物を使用してもよいのかという疑問がよぎらないわけでもないが、いまさらそんなことを心配する歳でもない。
 それに、そんな心配をするなら、テフロン加工などのフライパンそのものを考える方が先だろう。

 健康よりも、テフロン加工などが劣化したらフライパンを買い替えるのに、いつもちょっとした罪悪感を感じてしまう。世界中には飢餓に苦しむ子どもたちがいるのに。

2024年9月16日月曜日

陸奥守百済王敬福

    14日付け朝日新聞be版に「はじまりを歩く・・国産の金・・陸奥から都へ 大仏を輝かす」という記事があった。
 
 この話は先日、古代史の講座で習ったばかりのことだったので、少しだけコメントすることにする。

 続日本紀天平21年(749)2月22日条に「陸奥国、始めて黄金を貢る」とあり、
 天平勝宝元年(749)≪天平21年=天平感宝元年=天平勝宝元年≫4月1日条に「此の大倭国は天地開闢けてより以来に、黄金は人国より献ることはあれども、此の地には無き物と念へるに、聞こし看す食国の中の東の方陸奥国守従五位上百済王(こにきし)敬福(きやうふく)い、部内の少田郡に黄金在りと奏して献れり。此を聞きたまへ、驚き悦び貴び念はくは、廬舎那仏の慈び賜ひ福はへ賜ふ物にありと念へ、・・・」とある。聖武天皇は大喜びだった。

 さて陸奥守百済王敬福だが、遡る時代朝鮮半島の三大国は唐も絡んで対立していたが、百済の義慈王は倭と同盟し、二人の息子豊璋と善光を631年に倭に派遣(人質)したが、660年唐新羅連合軍によって百済は滅ぼされた。
 倭は662年には豊璋を帰国させ663年には白村江に出陣したが大敗した。
 倭に残った善光の子が昌成、その子が郎虜、そしてその子が敬福である。
 敬福は能吏であり、続日本紀天平神護2年(765年)6月28日「刑部卿従三位百済王敬福薨しぬ」とある。
 「敬福は・・放縦して拘らず、頗る酒食を好む。・・来りて清貧なることを告せば、毎に他の物に仮りて望外に与ふ。是に由りて、頻に外任を歴れども、家に餘財無し」とあるから、好漢でもあった。

 百済王敬福(くだらのこにきしきやうふく)の興味は尽きない。
 なお、日本列島でなぜ金が産出したのかは、中公新書・伊藤孝著『日本列島はすごい—水・森林・黄金を生んだ大地』がある。

2024年9月15日日曜日

エッチ虫

    妻がお尻を刺されて「エッチな虫や」と怒ったが、ほんとうにエッチ虫とかスケベ虫という俗称は広く行き渡っているようだ。
 たしかに、衣服を着ていてもそれを掻いくぐって素肌にまで侵入してくるのだからイヤラシイ。

 体長1㎜から1.5㎜というからホコリみたいなものでほとんど現認できない。
 痒く腫れてからそれが判る。
 ハエ目ヌカカ科。糠蚊とはなるほど。
 朝夕の無風時によく刺されるというが、早朝野菜の収穫後にあちこちが痒くなるからそのとおり。

 日本山岳会のHPに『微小の吸血昆虫ヌカカの被害と防御』というのがあって知ったのだが、甲州ではヌカカの別称を「ムクリ」といい、ムクリ(蒙古)、コクリ(高句麗)の元寇とかけて、『ムクリ、コクリ、鬼が来る』と、どうにもならない虫害を呼び習わしているらしい。

 熱中症対策でほゞ24時間空調体制なので室内での被害は少ないが、網戸もすり抜けてくる彼奴は普通の蚊よりも始末が悪い。
 早く涼しくなってエッチ虫、スケベ虫が来なくなりますように。

2024年9月14日土曜日

Office365には気をつけろ

    パソコンの調子が悪く精神衛生上よくないので、ついに新しいパソコンを購入した。
 Chromebook(クロームブック)とか再生パソコンなどコスパのよさそうなのもあり、いろいろ迷ったが、友人との文書のやり取りを優先して結局Windows11の入った中国製で、仕様としては最新ヴァージョンのノートパソコンにした。
 HDD(ハードディスクドライブ)とSSD(ソリッドステートドライブ)も事前に勉強して臨んだが、もう最初からSSDになっていた。時代は文句なしにSSDのようだ。手元にある外付けのポケットHDDが可哀そうだが仕方がない。
 Sさんから「SSDにすると作業が速い」と助言を受けていたとおりとなった。

 家電量販店の「セットアップの出張作業代はこれこれです」というのを断って現物を持ち帰り、セットアップの1の1から始めたが、以前の経験はすべて忘れていて、ああでもないこうでもないとようやくセットアップを完了し、古いパソコンにあるデータを順番に移し替えた。

 その古いパソコンというのが Word Excel Outlook が使えないというほど相当壊れていて苦労したが、必要なものの八割方は移し替えた。
 一番困ったのは「筆〇〇〇」という住所録ソフトが新パソコンには入っていなかったことで、それならExcelとWordの差し込み印刷機能で作り上げようかと試みたが、どうも「筆〇〇〇ソフト」よりは見劣りがするので、ダメ元で古いパソコンの中のそれのバックアップ機能あたりで海賊版みたいに移せないかと挑戦したが、これが「相当時間を要します」という表示で検索が始まって、およそ6時間以上かかって「やっぱりダメ」(まあ当然だが)という大失敗だった。
 これは結局¥2230-で新ヴァージョンのソフトをダウンロードをして移し替えた。

 そんなこんなで九割方は必要なデータも移し終わり、60歳過ぎてからWordを使い始めたという素人の後期高齢者にしては「よくやった」と自分自身をほめてやりたい。
 ただあちこちに「本当に登録なんかできているのか?」というようなものもあり、後に「あちゃー」ということが起こる可能性はあるが、とりあえずはセットアップ関連費用は0円で切り抜けた。

 最後に、古いパソコンのトラブルの原因をいろいろ考えたが、結局は Microsoft の卑怯な商売にたどり着いた。 教訓は「 Office365 と QneDrive には手を出すな」が私の答えである。
 よほど高度な作業をすることのない一般市民であれば、「何かよさそうな」宣伝文句で誘導されるOffice365 と QneDrive には手を出すな!と長谷やんが言っていたと覚えていてほしい。

2024年9月13日金曜日

無力ではないどころか

    内田樹氏の小論に『国際社会の「暴力」について』というのがあり、適当に抜き書きすると・・
 ■ 「圧倒的な暴力」を前にしたときに私たちがまずなすべきことは「圧倒的な暴力」を「制御可能な暴力」に縮減することである。それは質の転換のことではなく、量の規制のことだ。
 ・・世の中の悪を根絶することはできない。それならその事実を前に絶望する暇があったら、それを「受忍限度内」に縮減する具体的な方法を考えたほうがいい。
 ・・戦時国際法というものがある。・・「何をのんきなことを言ってるんだ」とせせら笑う人がいるかもしれない。
 ・・「戦争にもルールがなければならない」という合意にたどり着くために努力してきた人は別に、「ルールを決めたら被害者がいなくなる」と信じてそうしてきたわけではない。
 ・・暴力を根絶することはできない。・・だからと言って「暴力の行使を抑制するあらゆる試みは無駄だ」という結論に一気に飛びつくのは「子ども」だ。
 ・・暴力の制御は「原理の問題」ではなく、「程度の問題」である。・・「そんなのは五十歩百歩だ」と言って、程度を調整する努力を冷笑する人がいるが、そのわずか「五十歩」の差の蓄積によって人類の社会は少しずつ住みやすくなってきている。■

 現にウクライナやガザでは核兵器こそ使用されていないが普通の市民が多数殺されて行っている。
 またハマスとイスラエルについてはどちらにも言い分と不正義があると私は思う。
 それらを即時やめさせる力は私にはない。
 しかしそれでも、戦争をやめよ、侵略地から撤退せよ、核の威嚇をやめよという様々な行動は決して無駄ではないし無力でもない。
 前述の小論は、抜き書きでは解りづらいが、そういう確信を私に与えてくれている。

2024年9月12日木曜日

ブラック校則

    日時的には昨日の記事の続きになるが、奈良の東大寺周辺は修学旅行生で賑わっていた。 
 その折の感想だが、熱中症対策が繰り返しアナウンスされている下で、女子高生たちが制服であろうベストを着けていたのを見て、少し暗い気持ちになった。ちなみに男子は何ということのない白い半そでだった。

 校則でもあるだろうし「修学旅行のきまり?」に違いないのだろうが、この硬直性はどうにかならないものだろうか。
 生まれつき茶髪の生徒が黒く染められたとか女子高生の下着の色まで点検されるといういわゆるブラック校則が問題にされてからも久しいが、そのゆがんだ精神はあまり変わっていないようだ。

 教師の中には「もっと柔軟に」「もっと現実に即して」と考えている教師もいるに違いないと信じたいが、きっと学校運営について日頃からおおらかに議論する風土がないのだろう。あえて言えば生徒もそうだがそこのところは今は触れない。

 「卒業したら世間の理不尽はもっともっと厳しいのだからグレイ?な校則ぐらい耐えなければ」という意見もあるようだが、その意見は絶対に間違っていると思う。
 個人の人生にとってみても、大きくは日本の政治経済の発展のためにも、上級者の言われたことには批判しない、言われたことを言われたとおりに(だけ)やる、そういう人間づくりが正しいとは思わない。

 何が民主主義だ、自由だ、多様性だ・・・
 NHK Eテレの幼児番組だって、多様性とそれぞれが主張することの大切さを語っているぞ。
 学校運営の問題ではなく保身でモノ言わぬ教師の問題だとは思いたくない。

 そういえば東大寺の職員もネーム入りの揃いのベストを着ていたが、こちらはファンで膨らんでいた。さすがだ。

2024年9月11日水曜日

平安時代の書

    一昨日「大河ドラマは見ていない」と 書いたところだが、奈良市内に出たついでに東大寺ミュージアムに寄ってきた。
  藤原道長の義理の叔父である雅慶(がけい)の自筆の書が特集展示されているというのを知ったからである。
 宇多天皇の孫である雅慶は、道長の妻・源倫子の叔父。そして東大寺の別当も務めた。

 東大寺別当退任後は道長の「七光り」?で大僧正にまで上りつめたが、展示されていた書状は自らの土地の境界争いだから、大僧正も人間臭いというべきか? 生々しい。

 外へ出ると鹿たちが猛烈な残暑を避けて水浴びしていたが、こちらはそんな生臭くはなく爽やかだ。
 ただ秋は恋の季節のはじまり。雄鹿は周囲でやや不穏な雰囲気を醸し出していた。
 見ているこちらは、修学旅行生以外はほゞ100%外国語。
 恋に狂った雄鹿に突き飛ばされなければよいがと祈りながら東大寺を後にした。

2024年9月10日火曜日

LINEのこと

    イクジイの合間にLINEの修復を試みているが一向に解決しないので少々落ち込んでいる。
 
 スマホのLINEをこれまではPCでも使えていたのが、ある時からPCで使えなくなった。
 これを機にPWを変更したりして、自分ではできたはずの作業が上手く進まない。
 ブラックボックスという言葉が出てから相当経つが、私にとってはブラックボックスだ。
 昔の真空管ラジオみたいにだいたいの理屈がわかっていた頃が懐かしい。
 今はほとんどのIT機器が操作方法を知っているだけで、それが一歩横道にそれると手も足も出ない。こういうのは非常に精神衛生上よろしくない。

 それほど実害はないトラブルだが、こんな程度の問題解決ができない自分自身に嫌になっている。

2024年9月9日月曜日

紫式部

    大河ドラマ『光る君へ』は見ていない。 
 歴史学者の小笠原先生は「ストーリーは参考にしてはいけないが、平安時代貴族の職務や生活ぶりは大いに参考になるから見ておくとよい」と助言されていたが、別に積極的な理由もないが見ていない。
 また源氏については典型的な『桐壺源氏』であるから、これも特に語るべきものを持たない。

 そんな無粋な私だが、庭の『紫式部』を見てはその命名のセンスにシャッポを脱いでいる。
 この小さな実が秋の深まりとともにもっと紫色を深めていく。
 最後は葉っぱが散ってからもたくさんの実を輝かせ、やがて小鳥の餌となる。

 旧都の春日大社には今も『内侍道』『内侍門』があったりするから、中世は遠い過去のものではない気がする。つまり、歴史の感覚が短く感じられる。
 たしかに、科学の遅れていた時代の精神世界や政治は馬鹿々々しくもあるが、恋や嫉妬の世界は今と変わりないようにも思える。
 
   平安を思え紫式部の実

2024年9月8日日曜日

原爆裁判判決

   朝ドラ『虎に翼』の6日放送は原爆裁判の判決の場面で、ドラマの後半はただただ判決文の朗読が続くという異色のドラマであった。
 それは史実である判決文とほぼ同じであった(史料で確認した)。
 そこで実際の判決文の最後のほうを紹介しようと思う。

 ■ 人類の歴史はじまって以来の大規模、かつ強力な破壊力をもつ原子爆弾の投下によって損害を被った国民に対して、心から同情の念を抱かない者はないであろう。戦争を全く廃止するか少なくとも最少限に制限し、それによる惨禍を最少限にとどめることは、人類共通の希望であり、そのためにわれわれ人類は日夜努力を重ねているのである。
 けれども、不幸にして戦争が発生した場合には、いずれの国もなるべく被害を少なくし、その国民を保護する必要があることはいうまでもない。このように考えてくれば、戦争災害に対しては当然に結果責任に基く国家補償の問題が生ずるであろう。現に本件に関係するものとしては「原子爆弾被害者の医療等に関する法律」があるが、この程度のものでは、とうてい原子爆弾による被害者に対する救済、救援にならないことは、明らかである。国家は自らの権限と自らの責任において開始した戦争により、国民の多くの人々を死に導き、傷害を負わせ、不安な生活に追い込んだのである。しかもその被害の甚大なことは、とうてい一般災害の比ではない。被告がこれに鑑み、十分な救済策を執るべきことは、多言を要しないであろう。
 しかしながら、それはもはや裁判所の職責ではなくて、立法府である国会及び行政府である内閣において果たさなければならない職責である。しかも、そういう手続きによってこそ、訴訟当事者だけでなく、原爆被害者全般に対する救済策を講ずることができるのであって、そこに立法及び立法に基く行政の存在理由がある。終戦後、十数年を経て、高度の経済成長をとげた我が国において、国家財政上これが不可能であるとはとうてい考えられない。われわれは本訴訟をみるにつけ、政治の貧困を嘆かずにはおられないのである。

 七、結び (略)

 主文 1,原告等の請求を棄却する。
    2,訴訟費用は原告等の負担とする。 ■

 さて、日々テレビは自民党の総裁選挙を長々と報じている。事実上の総理大臣が決まる選挙であるから注目すべきは当然ではあるが、数々の不正に目をつむり偽りの「再生」を演出する与党の宣伝に大きく組み込まれた報道でもある。
 そして立候補の面々が、誰一人として国連が採決した核兵器禁止条約の批准に触れもせず、いまだに未解決の「黒い雨裁判」の解決にも触れず、「有事」」などといって軍事力増強をうたっているのであることを大マスコミは一言も批判しないのはおかしくないか。
 それは、原爆にまで至った戦前の体制翼賛時のメディアと変わらない。

 判決文ではないが、「政治の貧困を嘆かずにはおられない」が、その状況は有権者である国民の意識の反映でもある。
 大切なことは、したり顔で嘆くことではなく、遠くない解散総選挙で子孫に恥ずかしくない意思表示をすることであろう。

2024年9月7日土曜日

失敗を重ねる

    「わかっちゃいるけどやめられない」。
 「だから常々言っているではないか」という声が聞こえてくる。 
 包丁で左手の人差し指の先を切った。
 普通の料理中ではない。
 「こんな使い方をしてはいけないなあ」と思いながら、食材の真空パックを開けるのに、出刃風の包丁を空中で使用した。
 少しイライラしていたこともある。
 よりにもよって堺のホンモノの包丁だからまあ刀みたいなもの。
 負傷以前からいろいろ落ち込んでいたが一層滅入っている。
 そんなもので、今日はここまで。
 労働災害防止を語る資格なし。

2024年9月6日金曜日

ムーミンから

    先日、見るともなくテレビを見ていたら、テレビはフィンランドのムーミンの作者トーベ・ヤンソンについて語っていた。
 ちょうど子育ての時代とズレていたのかもしれないが、ムーミンのことは知らないわけではなかったが特段興味もなく過ごしてきたから、その放送も聞き流していたのだが、その中でトーベ・ヤンソンはフィンランドの隣国のスウェーデン語系であったからいろんな苦労があったという説明があり、ハテ?と興味が湧いた。陸続きのヨーロッパでは多言語や隣国語なんて問題なかったのではなかったのでは?

 ただ、いわゆるヨーロッパ語族の大海の中にポカっと浮かんだフィンランド語とハンガリー語はウラル語系で、ざっといえばアジアの言語であったから、フィンランド人はフィンランド語に強烈な自意識があったのだろうか。
 余談ながら、今では俗説とまで言われているのだが、荒っぽい話でフィンランドのフィンやハンガリーのハンはフン族(匈奴)ということで、西へ大移動したアジア人の末裔だという俗説があったが、私などはけっこうスケールの大きなロマンのように感じていたものだ。(今は否定されている)

 そんなことで少し調べてみると、大陸から離れた孤島の民族には疎いことになるが、陸続きのヨーロッパ諸国の歴史は領土を巡って「侵略」と「侵略された」歴史の積み重ねであって、隣国というのは常にその相手であった(アジアでも大陸とはそういうものだった)。
 さらに、私の勉強不足をさらす話だが、フィンランドは第二次世界大戦の敗戦国であったことを知らなかった。
 第二次世界大戦ではソ連に攻め込まれ、それゆえドイツと組んで戦ったのだから、独、伊、日とは別にヨーロッパ諸国の中でもう一つの敗戦国であった。

 というようなことは私の後付けだが、フィンランドにおける隣国スェーデン語系のトーベ・ヤンソンに対する世間の目は相当微妙なものであったかもしれない。
 これはもう少し勉強してみるのも面白いと本屋に向かい立ち読みをしたが、フィンランドの歴史、その周辺のヨーロッパの歴史は膨大すぎるので、尻尾を巻いて本を書架に戻して帰ってきた。

2024年9月5日木曜日

プチメロン

    わが一坪菜園は自然農法で育てている・・というのはハッタリで、無精プラス猛暑で放ったらかしで来ているだけ。
 耕さない、肥料も農薬も使わない、草は抜かない。
 その内に何を植えたかさえ判らずにいたが、月曜日に紫蘇畑の中にボールのような収穫物が転がっていた。小さな南瓜みたいだ。台風の影響か?ほんとうに転がっていた。

 捨ておいてもいいが、孫の凜ちゃんの玩具にでもと拾っておいて、イクジイの後で見せてやった。
   それでオシマイのつもりだったが「折角だから切ってみよう」ということになり、凜ちゃんの目の前で切ってみると、ナント可愛いメロンができていた。
 食べてみると味は全く問題なし。みんな七十五日寿命が伸びた。

 品種は解らない。キュウリの苗と一緒に遊びで植えたもの。こんなのができるなら、キチンと剪定もして肥料もそこそこやるのだった。といっても後の祭りどころか秋祭りの季節。健康に留意して来年リベンジだ。

2024年9月4日水曜日

茗荷の花

    歳のせいか昼間はよく昼寝をするのに夜はすぐに目が覚める。
 母の介護をしていた頃はその「昼夜逆転」に弱ったが、だんだん自分がそれに近づいているようだ。
 それと共にNHKラジオ深夜便(23時~翌朝5時)と馴染んできたが、その、朝方の番組終了間近に、その日(つまりその朝から始まる日)の『誕生日の花と花ことば』が紹介される。
 9月2日(朝)聞くともなく聞いていると、その日のそれは「茗荷の花」というので少し驚いた。
 1年365種の花があるのだから変わった花があってもおかしくないが、茗荷の花とは。
 「お誕生日おめでとう」と言って「茗荷の花束」を・・というシーンを想像して笑ってしまった。

 「花ことば」というものについて私は無知に近いが、「茗荷の花ことば」は「忍耐」らしい。茗荷がなぜ忍耐に通じるのかの論理は知らない。
 転居してきたズーッと以前からわが家にそれは生えている。誰から苗を分けていただいたのかも忘れた。
 非常に強い草花だから下手をすると庭中が茗荷畑になってしまう。だから何回も引っこ抜いて捨てたのだが残した群れが今もある。
 ほんとうは湿った日陰がよいらしいが、そういう場所に茗荷が増えると経験上蚊の楽園になる。で、けっこう乾燥した場所に放ったらかしにしてあるのだが、適当に美しい花が咲く。といっても根っこの周辺で咲くものだから目立ちはしない。

 「花が咲くと花芽はもう食べられない」とよく書いてあるがそんなことはない。よほど経過しないとスカスカにはならないから、開花(一日花)数日なら花芽をとる。
 洗ってサッとお湯にくぐらせて甘酢に漬けると鮮やかなピンクに発色する。
 本を読むと茗荷を食べるのは日本人だけだとあるが、そういう意味では私は愛国者である。

2024年9月3日火曜日

朝鮮人虐殺の史料

 

   一昨日9月1日は関東大震災のあった日で、流言飛語などによって多くの朝鮮人、また中国人、社会主義者、労働運動活動家などが虐殺された日であった。
 小池東京都知事はそれまでの知事が送っていた朝鮮人虐殺者慰霊の式典への追悼文を今年も出さなかった。
 それに関して国会で取り上げられたときに安倍内閣は「資料がない」と言って歴史をないものにしようとした。
 今般FB上に大前治弁護士が上記の帝国議会速記録を提供してくれていたので転載する。
 為政者によって歴史の「事実」を「なかった」かのように修正する不真面目で恐ろしい時代に私たちは生きている。
 こんなことを許せば、その内に神風が吹いて大東亜の共栄圏を語りだすだろう。
 自公政権の表紙の張替えで問題は解決しない。それを補完する「ゆ党」も同じだ。
 遠くない解散総選挙で日本共産党を伸ばすしかないと私は思う。


2024年9月2日月曜日

松虫

   台風で外へ出る気にもなれず、といってニュースはどこも同じで(被災地には申し訳ないが)観る気も失せ、ただただ気が沈んでいるが、清少納言はナントこんな日も、「野分のまたの日こそ、いみじうあはれにをかしけれ」(枕草子)と書いているから、いやはや「おそれいりました」と小さくなるしかない。 

 ついでに同じ本の〈虫〉を読むと、ミノムシについて「蓑虫はとても哀れである。鬼が生んだということで、その鬼が「親に似てこれも恐ろしい心があるだろう」と思い、親がみすぼらしい衣を着せて「まもなく秋風が吹いたら来よう。待ってなさい」と言い置いて逃げて行ってしまったのも知らずに、風の音を聞き分けて、八月ごろになると〈ちちよ、ちちよ〉とはかなそうに鳴く声は、とても哀れに聞こえる(大伴茫人訳)」。というのにもまいってしまう。

 ちなみに〈虫は、鈴虫、ひぐらし・・・〉の〈鈴虫〉は現代の松虫のことらしい。もちろんリーンリーンとうるさいようなアオマツムシではない。
 早朝散歩に出ると直ぐ近くの草むらでチンチロリンと鳴いている。秋の虫は多いが、私は一番の美声だと思っている。
 こんな美声を博奕の名前に援用するのは許せない。

 若い頃、阪堺電車をよく利用していたが、その阪堺電車には天王寺を出て阿倍野の次に「松虫」という駅がある。能の『松虫』の舞台とされている。ここの〈松虫〉は〈鈴虫〉のことだとややこしいが、細かい話は飛ばしてマツムシの声を探してほしい。

2024年9月1日日曜日

年年歳歳

   大荒れの台風10号が日本列島を縦断というか横断というか蹂躙している。この原稿を書いている段階では結果は知らない。その昨日が二百十日というので、この地に住んできた先人たちの経験知(季節暦)に感心している。出来過ぎた話だ。 
 「四季ではなく二季の国になった」と言われるほど夏が長くなったが、それでも朝の蝉の声はクマゼミからツクツクホウシにバトンタッチした。年年歳歳虫相似たり。

 トンボでいうとアキアカネ(普通にいうアカトンボ)は「もう秋だ」と山から下りて来て里で旋回している。(夏の間は山にいる)
 ところでこのアキアカネは道路の十字路(交差点)で群舞するのが不思議だ。太い(広い)道路は幾らでもあるのに必ずと言っていいほど交差点(十字路や三叉路)で旋回している。「今日はあの交差点で合コンだ」と誰かが指揮を執っているみたいだ。
 その交差点から次の交差点の間をギンヤンマは巡回するのだが、アキアカネはそうではない。餌の蚊が交差点に多いという話も聞かないし。
 卵で越冬し6月頃羽化した成虫が親世代から学ぶこともなかっただろうし。
 昆虫の生態は不思議だらけだ。なお、写真はトンボではない。当たり前だ。

 そういう虫たちの季節感覚に比べて人間というやつは・・・ショッピングモールにはハロウィンのグッズが並べられている。
 天災は奢れる人間への天の意思だと先人は言ってきた。