それは史実である判決文とほぼ同じであった(史料で確認した)。
そこで実際の判決文の最後のほうを紹介しようと思う。
■ 人類の歴史はじまって以来の大規模、かつ強力な破壊力をもつ原子爆弾の投下によって損害を被った国民に対して、心から同情の念を抱かない者はないであろう。戦争を全く廃止するか少なくとも最少限に制限し、それによる惨禍を最少限にとどめることは、人類共通の希望であり、そのためにわれわれ人類は日夜努力を重ねているのである。
けれども、不幸にして戦争が発生した場合には、いずれの国もなるべく被害を少なくし、その国民を保護する必要があることはいうまでもない。このように考えてくれば、戦争災害に対しては当然に結果責任に基く国家補償の問題が生ずるであろう。現に本件に関係するものとしては「原子爆弾被害者の医療等に関する法律」があるが、この程度のものでは、とうてい原子爆弾による被害者に対する救済、救援にならないことは、明らかである。国家は自らの権限と自らの責任において開始した戦争により、国民の多くの人々を死に導き、傷害を負わせ、不安な生活に追い込んだのである。しかもその被害の甚大なことは、とうてい一般災害の比ではない。被告がこれに鑑み、十分な救済策を執るべきことは、多言を要しないであろう。
しかしながら、それはもはや裁判所の職責ではなくて、立法府である国会及び行政府である内閣において果たさなければならない職責である。しかも、そういう手続きによってこそ、訴訟当事者だけでなく、原爆被害者全般に対する救済策を講ずることができるのであって、そこに立法及び立法に基く行政の存在理由がある。終戦後、十数年を経て、高度の経済成長をとげた我が国において、国家財政上これが不可能であるとはとうてい考えられない。われわれは本訴訟をみるにつけ、政治の貧困を嘆かずにはおられないのである。
七、結び (略)
主文 1,原告等の請求を棄却する。
2,訴訟費用は原告等の負担とする。 ■
さて、日々テレビは自民党の総裁選挙を長々と報じている。事実上の総理大臣が決まる選挙であるから注目すべきは当然ではあるが、数々の不正に目をつむり偽りの「再生」を演出する与党の宣伝に大きく組み込まれた報道でもある。
そして立候補の面々が、誰一人として国連が採決した核兵器禁止条約の批准に触れもせず、いまだに未解決の「黒い雨裁判」の解決にも触れず、「有事」」などといって軍事力増強をうたっているのであることを大マスコミは一言も批判しないのはおかしくないか。
それは、原爆にまで至った戦前の体制翼賛時のメディアと変わらない。
判決文ではないが、「政治の貧困を嘆かずにはおられない」が、その状況は有権者である国民の意識の反映でもある。
大切なことは、したり顔で嘆くことではなく、遠くない解散総選挙で子孫に恥ずかしくない意思表示をすることであろう。
素晴らしい。
返信削除とても大切な゙ことですネ