2024年9月25日水曜日

舟を編む

    小学校の高学年の頃「漢和辞典が家にある者は持ってきなさい」ということがあったが、我が家の漢和辞典はあまりにボロボロで旧仮名遣いだったので、これを機会に、当時出版関係に勤めていた従兄が選んでくれて私は三省堂の大明解漢和辞典を買ってもらえた。
 
 ところがそれは大きくて分厚い本格的な蔵書版だったので、みんなの持ってきた小型版とは全く異なり、私はそれが嫌で嫌でたまらなかった。今は小型版の辞書類は字が小さすぎて蔵書版にお礼を言っている。

 以上は今日の記事の前説(まえせつ)で、これ以降が本題である。
 孫の夏ちゃんはこの春中学生になった。
 そこで何か辞書を買ってやれば喜ぶだろうと思い、何が良いか聞くことにした。
 我々の頃はconcise英和辞典が定番中の定番だったが、それはきっと持っているだろうしなどと思いながら尋ねたところ、夏ちゃんの言うのには、先生からは辞書を買いなさいと言われたことがない。漢和辞典も英和辞典も何もかも・・事実、学校に辞書を持ってくる生徒はいないし家にも持っていないという。
 その代わりというか、生徒は小学生の時から一人1台ずつタブレットを持っている。
 「辞書を引く」のではなく端末機器で「検索」する時代になっていた。

 驚くことはない。私だって簡単な調べ物は検索することも少なくない。
 事実、スマホやパソコンの中には○○辞書という機能もいくつもある。出版社別の辞書を何冊も持っていることと変わりない。それにしてもである・・・

 それにしても、「書架に辞書が並んでいるだけで賢くなるのだ」的な旧人類の、「ページをめくり、別の項目なども読むから知識は増えるのだ」という「お説教」は空しく空中に消え入ってしまった。
 コピペで論文が出来上がってしまう時代。ほんとうにこれでよいのだろうかと祖父は声には出さず呟いている。
 「漢和辞典なら新潮日本語漢字辞典がいいよ」と教えてあげたかったが、言葉にもしなかった。
 でも、ほんとうにこれはいいことなんですかね。

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