歴史学者の小笠原先生は「ストーリーは参考にしてはいけないが、平安時代貴族の職務や生活ぶりは大いに参考になるから見ておくとよい」と助言されていたが、別に積極的な理由もないが見ていない。
また源氏については典型的な『桐壺源氏』であるから、これも特に語るべきものを持たない。
そんな無粋な私だが、庭の『紫式部』を見てはその命名のセンスにシャッポを脱いでいる。
この小さな実が秋の深まりとともにもっと紫色を深めていく。
最後は葉っぱが散ってからもたくさんの実を輝かせ、やがて小鳥の餌となる。
旧都の春日大社には今も『内侍道』『内侍門』があったりするから、中世は遠い過去のものではない気がする。つまり、歴史の感覚が短く感じられる。
たしかに、科学の遅れていた時代の精神世界や政治は馬鹿々々しくもあるが、恋や嫉妬の世界は今と変わりないようにも思える。
平安を思え紫式部の実
0 件のコメント:
コメントを投稿