2024年9月13日金曜日

無力ではないどころか

    内田樹氏の小論に『国際社会の「暴力」について』というのがあり、適当に抜き書きすると・・
 ■ 「圧倒的な暴力」を前にしたときに私たちがまずなすべきことは「圧倒的な暴力」を「制御可能な暴力」に縮減することである。それは質の転換のことではなく、量の規制のことだ。
 ・・世の中の悪を根絶することはできない。それならその事実を前に絶望する暇があったら、それを「受忍限度内」に縮減する具体的な方法を考えたほうがいい。
 ・・戦時国際法というものがある。・・「何をのんきなことを言ってるんだ」とせせら笑う人がいるかもしれない。
 ・・「戦争にもルールがなければならない」という合意にたどり着くために努力してきた人は別に、「ルールを決めたら被害者がいなくなる」と信じてそうしてきたわけではない。
 ・・暴力を根絶することはできない。・・だからと言って「暴力の行使を抑制するあらゆる試みは無駄だ」という結論に一気に飛びつくのは「子ども」だ。
 ・・暴力の制御は「原理の問題」ではなく、「程度の問題」である。・・「そんなのは五十歩百歩だ」と言って、程度を調整する努力を冷笑する人がいるが、そのわずか「五十歩」の差の蓄積によって人類の社会は少しずつ住みやすくなってきている。■

 現にウクライナやガザでは核兵器こそ使用されていないが普通の市民が多数殺されて行っている。
 またハマスとイスラエルについてはどちらにも言い分と不正義があると私は思う。
 それらを即時やめさせる力は私にはない。
 しかしそれでも、戦争をやめよ、侵略地から撤退せよ、核の威嚇をやめよという様々な行動は決して無駄ではないし無力でもない。
 前述の小論は、抜き書きでは解りづらいが、そういう確信を私に与えてくれている。

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