私のブログを読んでいたTさん「例のものは持ってきやはりましたん?」
私「もちろん」と・・・カズーのこと。
ところが宣伝カー等からの歌は(私には)新しいものばかりで、結局出番もなく帰ってきた。
しかし、この「知らない」歌というのは私の責任に帰するもので、私自身が克服しなければ・・・。
だいたい、メーデーのときに、何十年一日の如き古い歌ばかりだったことには私は大いに不満であったから、カズーの出番のなかったことには少し寂しかったが、基本的には大拍手を送っている。
行進参加は、教育塔から鉾流橋までだったが、体調は「軽登山もけっこういけるかも」といえるようなものだった。
ところが、解散をして鉾流橋から地下鉄淀屋橋駅に帰ろうとすると、途端に膝や腰が痛んできた。行進中は気力が張っていたのだろうか。
それでも、気分は爽快だった。
通し行進者は被爆二世の方だった。家族、親類、そして自分自身にも大変な現実があったそうだ。
私には、被爆者に代って「苦しみ」を肩代わりすることはできないが、せめて少しでも一緒に歩くことはできる。
「そんなのマゾや」と嘲笑する者もいるが、そういう微力が集まって歴史は進んできたのではなかろうか。虎に翼でもそのことを思い知らされる。
もう一度言うが、体は別として、気分は爽快だった。
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