答は、 Wikipediaにも出てくるが、1966年に『しんぶん赤旗』(日刊紙)が読者の利便を図って最終ページに掲載。その後各紙が追随した。‥というのが正解。
ところが、その元祖『赤旗』がラテ欄を中の方のページに移した。
私などは長い習慣から最終ページでなくなって寂しいが、妻などはテレビのリモコンで今夜の番組どころか1週間先までの番組を確認し、必要な録画予約などをしているから、1966年に時代の先端を行ったように、きっと現代のニーズに対応したのだろう。
その代わりというべきか、最終ページは【文化】だとか【テレビ・ラジオ】のページになって、各種文化作品等の良質な紹介や解説などのページになった。
例えば18日のそのページの一角には『やきそばかおるの ラジオの歩き方 第71歩』が載っていて、『高橋ひかるHighway Runway』(JFN)や『多田しげおの気分爽快‼~朝からP・O・N』(名古屋のCBC)の粋な番組終了について語っている。
この『ラジオの歩き方』は妻の一押しのコラムである。
ジャーナリズムやメディアを考えるとき、赤旗の先見性は注目に値する。
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