それから程なく、日本で最初の寺院・飛鳥寺が建立され、瓦葺きが寺院や宮殿の屋根を飾った。
渡来系の技術者集団というから当時のシリコンバレイといった感じだろう。
感想でしかないが、旧西除川を北流して河内湾あたりからUターンをして旧大和川で大和に運んだのだろう。
和泉以外にも、近江、淡路、讃岐等も産地であったらしい。
ところが藤原京から平城京へ遷都する際には、需要の拡大、技術の進歩、運送の合理化と思われたのだろうか、平城京のすぐ北の平城山(ならやま)の丘陵地帯に窯を造り、瓦を焼き始めている。瓦窯(がよう)跡と呼ばれる遺跡がその辺りに解っているだけで7箇所発見されている。
ニュータウンの中心部は近鉄京都線高の原駅で、駅前のシンボル的な大きな陸橋には、開発途中で発掘された鬼瓦、平瓦、軒瓦のレプリカが飾られている。時々、ハイクを兼ねたそれらしき集団が見入っていることがあるが、住人の99,9%は振り向きもしていない。もしも~し! 少し休憩がてらに案内板など読んでみませんか。
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