8~9年前、完全空調で季節も天気も判らないような老人ホームで義母が「ようずやな」と私に尋ねて来たときには何のことか解らなかった。娘である私の妻に聞いても「知らない」ということだった。
後に歳時記にそれを見つけて「なるほど、そうだったのか」と納得した。当時義母はメンタルの落ち込みもあったから、完全空調の部屋であっても「ようず」が判ったのだろう。遠い思い出になっていく。
そんな記憶がよみがえってきた。
昨日の生暖かさはまるで「ようず」のように私は感じた。(天気予報では雨ではない)
さて、夏日のニュースまで流れ、慌てて衣替えを急いだ。
街も大きく風景が変化し、茱萸(グミ)も実ったと思ったら、ヒヨドリの群れが大宴会をして食い散らかした。そのおこぼれを私がいただいた。
グミにとっては戦略通りで、ヒヨドリがあちこちに糞という肥料付きで種まきをしてくれている。
そういう風に新天地で伸びたグミがあちこちにある。
誰が命名したかは知らないが、苗代茱萸(ナワシログミ)とはうまい。
この季節、寒かった冬に比べるとホッとすることもあるが、人間界ではいろいろ環境の変わる憂鬱な季節でもある。おまけに花粉症だから、素直にその気候を喜べない。
春陰や手も足も出せぬ子の悩み
働き盛りの子は子でいろんな悩みは深い。だが、老親にはもう手助けできない。
「空の名前」に載っていますから比較的多用された方言のようですね、ただし私も聞いたことも使ったこともありません。「幻の河内弁」にも載っていませんでしたが似たような語感の「づつない」というのを会話の中でよく聞きましたので調べたら「それは食べ過ぎて胃がもたれる」ような時に使う、河内弁でも無かったです。
返信削除「づつない」は堺の漁師の多い海辺ではよく聞きました。
返信削除ひげ親父さん「いかれころ」はどうですか?
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