2022年4月6日水曜日

いかれころ

   私は疎開先の中河内(なかがわち)で生まれ泉州は堺で育ったが、家の中の言葉は「せんば言葉」に近い大阪弁であったから、(堺の小学校のとき先生に「どこの子や」と言われるぐらい泉州弁ではなかったから)、「いかれこれ」というような言葉はおよそ理解はできていたが自分では使用していなかった。つまり、この言葉は私にはそれほど強烈に懐かしさを感じるような言葉ではないが、そこそこに懐かしいというレベルの言葉である。
 ただ、私の実感としては、河内から生駒山を一つ越えた大和の言葉は河内弁と非常に近いと思っている。

 さて、愛読している牧村史陽編『大阪ことば事典』ではこの言葉は、『してやられた形。「ほんまにイカレコロや」などと用いる。「コロッといかれてしもうた」という語を上下転倒したものであろう』と書かれている。「踏んだり蹴ったりや」という感じが近いように私は思う。

 そんなもので、「故郷の訛り懐かし そを聴きにゆく」という感じでこの本を購入して読んだ。

 舞台は大阪府では珍しくない南河内の第2種兼業農家(農業が従)で、ムラの感覚と都市の感覚がまじりあった地域の、本家や分家、親戚一同の日常を多感な娘の思い出として綴った小説だ。

 都会の商売人中心の私の世界ではないのだが、「わかるわかる」というような少し嫌味も混じった人間関係を面白く読んだ。

 共産党員の市長も、父の過去の学生運動なども出てくるが、さらには差別、解放運動の歪み、精神障害も出てくるのだが、それらもみんなさらりと軽いBGMだ。社会正義についての悩みも人生の希望も絶望も語られない。それでも、こんな小説もなかなかよい。ロシア文学とは程遠いこんな小説を読む時間もいいもんだ。

3 件のコメント:

  1.  7日、「阪神タイガースはコロナ陽性者続出のため試合中止になった」「いかれこれやな」と妻が言った。調べるとコロナ感染はDeNAの方らしいから恵みの雨かも。

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    1. 大相撲やったら、不戦勝で白星つくのに・・・・。

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  2.  「いかれころ」は「いかれこれ」とも言う。

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