2018年12月27日木曜日

箸紙

 「箸袋のことを関西(上方)では箸紙という」と「ものの本」にあるが、その違いは意識したことがない。はて?

   毎年年末になると祝箸(箸紙)を自作している。
 自作にこだわっている理由はやはり上方の文化を大事にしたいからであるが、やむを得ずという側面もある。
 というのも、近所のイオンモール等々は関東式、あえて言えば東京式に席巻(蹂躙)されていて、意地でも上方様式にしたいなら自作するしかないためである。(京都の老舗の通販という手もないわけではないが)

 「箸(はし)」という日本語は「橋(はし)」さらに「梯(かけはし)」と同根の言葉で「橋渡しするもの」であろう。
 そして特に祝箸が「両口箸」であるのは「神人共食」の思想(両口の片方で人が食べもう片方で神が食べる)であるからで、上方の祝箸(と箸紙)が下から上に向けて箸を入れ、その箸先を水引で清めているのはうなづける。

 この祝箸には家族の名前をそれぞれ書くのだが、いわゆる「取り箸」は京都では「組重」と書き大阪では「海山」と書く。わが家では「海山」をさらに丁寧に「山海(の)珍味」と書く。
 そして水引の下には通常は壽が書かれて(印刷されて)いるのだが、近頃は折角自作するならとめでたい言葉を書いている。
 今般はその言葉を「瑞氣集門」とした。
 「めでたい氣よわが門に集まれ!」というのは我儘か。
 「辛いときも瑞氣はもう門のところまで来ているから頑張ろう」と解しておこう。

 「箸の上げ下げ」という言葉もある。躾けに関して引用されることもあるが、その人の立居振舞というか品格を表わす場合にも登場する。ことほど左様に日本文化にとって重要な位置を占める箸・・お正月の祝箸にもう一つ話題が盛り上がらないのはどうしてだろう。

 テレビを見ていると和食の進出とともに欧米でも箸を上手に使う人が増えているようだ。
 おまけに麺類までズズーッと啜ることさえできているのには『欧米人は「音をたてるな」と言っているが実はよう啜らないのだ』と解説されていた時代が嘘のようである。
 中国では匙も結構使うから現代社会での箸文化の代表選手は日本である。
 その日本で箸文化の代表選手であるお正月の祝箸をマスの商業主義に蹂躙されていてこれでいいのか!と時代遅れは世界の片隅でぼやいている。

 チコちゃん流に言えば、どこそこの店が三ツ星だとか、やはり本場の〇〇は違うとか言う前に、今こそ日本国民に問いたい。

   箸袋つくって少しずつ晦日

2 件のコメント:

  1.  東西で決定的に異なるのは、東京などでは上からお箸を入れるのに対して、上方は下からお箸を入れることです。

    返信削除
  2.  愛国主義というのが愛郷主義と同義語だとすれば私は強烈な愛国主義者です。
     祝箸へのこだわりはその表れです。
     大阪〇〇の会などの肝いりで民営化された大阪市営地下鉄が、東京メトロ(旧営団地下鉄)のマネシの大阪メトロなどと言う卑しさにうんざりしています。
     それでも大阪の皆さんは東京風の祝箸で喜んでいくのでしょうか。
     それとも、365日中の1日だとかと言って、日頃(ケの)お箸を用いて文化や伝統を顧みないのでしょうか。

    返信削除