年頭に私は『共感』という言葉を深く考えている。
「忖度」には似ているが、それとは真逆の意味のつもりだ。
現代のこの国では、辛い人、頑張っている人たちへの「共感の持続」がほんとうに大切ではないだろうか。偉そうなことは言えないが、反省も込めてそんなことを考えている。
だから、共感という名で大勢に順応するのでなく、ほんとうに辛い人、頑張っている人たちに素直に共感したい。そのためには効率主義に影響されるのでなく、想像力、そして確かな情報と知識、結局のところ常識力をレベルアップしようと思う。そして折々に自分の心が乾燥していないかと振り返りたいと思う。
高邁な論説を滔々と述べても、なんとなく心の冷たい人たちを誰が支持し友達になるだろうか。捲土重来は案外身近なところに鍵があるのではないか。
「一強」が砂上の楼閣であるのは間違いない。
とりあえずこの一年を、憲法改悪を許さない年にしたい。
私は今の状況と展望に悲観はしていない。
2018年、「理想を現実に引き下ろすのでなく、現実を理想に近づける年にしたいものだ。
イオンからダンボールを持って帰って来て凜ちゃんも入れるマイホームを作った。これが祖父ちゃんからのお年玉。
結構丈夫に作ったが、あッという間に潰されてしまうかもしれない。それならそれでいい。
ブログの先輩の和道さんが「じいちゃん離れ」を少し寂しそうに綴っていたが論理的には仕方がない。
私もそれまではイクジイでいくぞと年頭に空元気を発している。
つまるところ、一年の計は痩せ我慢と空元気に落ち着くか。
孫の凜ちゃんの家が白いのは去年のカレンダーを裏返して貼ったため。凜ちゃんが来るまでに屋根の瓦などを書こうと思う。やっぱり今年も「期限」に追われて「やっつけ仕事」で終わるのか。
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