11日に、義母が十日戎の福笹に付いた鈴を喜んだと書いたが、そのとき私は「あっ、この鈴はタマフリだ」とビビッと感じた。
上田正昭著『日本人”魂”(タマ)の起源』は「鎮魂の原点はタマシズメではなくタマフリだった」と書き、古代の人は魂の復活、継承を大事にしたとしている。
それが専らタマシズメになったわけについて著者は、「その後、悪政にしいたげられた民衆のタマを畏怖する為政者たちは、タマの再燃を避けようとし、あやまれる鎮魂で怨念から解放されたかの錯覚を育てた」からだと指摘し、今の戦後政治に関しても、「死者の痛恨をなおざりにする政治や宗教に、生者の救済を云々する資格はない」「哀悼の美辞麗句でことをすまし、寒々とした俗悪の肯定と居直りがむきだしになるばかりだ」と結んでいる。
一般に古代史学者などは余程浮世離れした存在と思われているかもしれないが、戦前の皇国史観の批判から出発した古代史学者は、現代史についても的確な視覚を持っていたように思う。
この文章などは、自虐史観などと攻撃している歴史修正主義者(代表・安倍晋三)に対する痛烈なお返しに思える。
元に戻って鈴であるが、神社に関わる本などの中では「社前で鈴を鳴らして神さまに出てきていただくのだ」的な解説が多く、間違いとまでは言わないが、まるでそれでは「呼び鈴」ではないかと思える記述も多い。
義母は福笹の鈴を何度も振ってその音色を喜んだが、そのとき鈴の音は義母の魂(タマ)を確実に奮い起こしていたと私は感じた。
さて2月になると、八戸地方に春を告げる郷土芸能?『えんぶり』が行われる。
『えんぶり』について折口信夫は『日本藝能史六講』で、『田を掻きならすには朳(えぶり)という道具を使うが、「えぶり」という語の意味は「揺り起す」ということだ』と解説して、「玉などもそうで、これを揺すぶると音が出て中の魂が出てくるということ」と、「えんぶり」に関わって述べている。
なので、「えんぶり」は、冬の間眠っていた田の神を揺さぶり起し、田に魂を込める儀式、田におけるタマフリの芸(神事)である。
タマフリをキーワードに何故「えべっさん」から「えんぶり」にまで話が跳んだかというと、八戸の版画家藤田健次さんから版画展の案内状が届いたからである。
会場は当然八戸市である。盛況を祈るしかない。今の私には遠すぎる。
畿内なる吾に案内状届く版画展の土地は陸奥(みちのく)
古代人の発想では、魂(タマ)が衰弱していく(いる)状態がタマシイで、それを呼び戻す、奮い立たせる行為がタマフリということです。鈴はタマフリに有効なアイテムでしょう。
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