2018年1月17日水曜日

魯迅の言葉

   先日フェースブックを覗いていたら吉田 隆寛さんという人のつぶやきが目についた。
 内容からして(年齢が)どういう先輩かと思ったら、プロフィールでは民青の千葉県委員長だった。
 人間は年齢ではない。若くてもしっかりした人がいるものだ。以下に抜粋して引用する。

 市民と野党の共闘、あるいは発達した資本主義社会での社会主義革命・・まだだれも歩き通したこともない道へ突き進む自らの決意と、仲間の意欲を引き出すためにはどうしたらいいか。そんなことをぼんやりと考えていたら、中学校の授業で習った中国作家・魯迅の言葉をふと思い出した。

 「思うに希望とは、もともとあるものともいえぬし、ないものともいえぬ。それは地上の道のようなものである。もともと地上に道はない。歩く人が多くなれば、それが道になるのだ」(「故郷」より)

 実践のないままに現実をああだこうだ言って客観視しているつもりでも、それはどんな意見であったとしても「個人の見解」という主観、観念からは逃れられない。
 失敗や挫折も恐れず現実に立ち向かおうとし続けようとするものにこそ、真の希望は訪れるのだと思う。

 阿Q正伝・狂人日記他12篇(岩波文庫)冒頭にある「自序」の魯迅と友人の金心異とのやりとりが、心を揺さぶった。

(魯迅)《かりにだね、鉄の部屋があるとするよ。窓はひとつもないし、こわすことも絶対にできんのだ。なかには熟睡している人間がおおぜいいる。まもなく窒息死してしまうだろう。だが昏睡状態で死へ移行するのだから、死の悲哀は感じないんだ。いま、大声を出して、まだ多少意識のある数人を起こしたとすると、この不幸な少数のものに、どうせ助かりっこない臨終の苦しみを与えることになるが、それでも気の毒と思わんかね》

(金心異)《しかし、数人が起きたとすれば、その鉄の部屋をこわす希望が、絶対にないとは言えんじゃないか》(抜粋引用おわり)

 年寄仲間が集まると「実践のないままに現実をああだこうだ」と語ることが多くなる。
 「失敗や挫折も恐れず現実に立ち向かおうとし続けようとするものにこそ、真の希望は訪れる」はいい意見だ。
 忘れかけていた気持ちを再確認するために、彼の読んだ文庫本を書架の奥から引っ張り出した。

     魯迅読み意見述べし青年あり 

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