2018年1月3日水曜日

告朔の餼羊

   『告朔の餼羊』(こくさくのきよう)という言葉は、私が以前に年中行事のことをブログに書いた折、先輩であるスノウさんから教えていただいた言葉で、それまで私は知らなかった。

 出典は「論語の八佾(はちいつ)」で、「古くからの習慣や年中行事は、害がなければ保存すべきだということの例え」である。
 「告朔」は古代中国にあった儀式、「餼羊」はその儀式に用いられた生贄の羊。
 子貢が形式化したそれを止めようと言ったとき孔子は例えのとおり返答したという。

 この国では論語自体が告朔の餼羊のようなものであるが、それはさておき、論語に取って代わって現代のこの国の精神の原器に座ったものは成果主義、効率主義である。
 告朔の餼羊はそういう風潮への異議申し立ての一助になりそうだ。例えば先日ブログに書いた文学のようなものである。
 ただ気を付けなければならないのは、現代の年中行事は、圧倒的な商業主義(コマーシャリズム)によって、年中行事といえども換骨奪胎されて売らんかな・買わんかなと踊らされる危険性もある。

 12月30日に書いたことだが、節分の豆撒きの鬼についても、病気など意に沿わぬ不幸の原因を邪鬼の仕業と理解した時代の民衆の素朴な感情に共感すると同時に、特に現代社会では、鬼の側に立って考えてみる、別の視点で検討してみると風景が変わらないかという作業が重要だと補足して子どもたちに伝承することが大切だ。

 と補足して、告朔の餼羊を私は肯定する。

     老夫婦形ばかりの鏡餅
 鏡餅はプラスチック、その中に真空パックの小餅。それでも精一杯の告朔の餼羊・・・これって駄目ですか?

1 件のコメント:

  1.  誤解のないように言い訳をすると、私は結構合理主義者で近代主義者ですから、気にいらない習俗は果敢に捨て去る方です。その上に、私の気分に合致する範囲で「告朔の餼羊」を心に止めているだけです。
     元旦は、私が新しい水でお湯を沸かし、小梅を入れた新しい煎茶で大福茶を入れました。年の初め第一番の行事です。こういうのは自分自身非常に気に入っています。

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