注文していた書店から連絡があり、芥川賞作家・滝口悠生の第37回野間文芸新人賞受賞作『愛と人生』・講談社を読んだ。
第一刷が2015年1月だから発刊から2年半が経っている。
写真はカバーを見開きにしたものだが、装画・堀道広、装幀・佐々木暁も味がある。
帯の表側には『山田洋次監督も共感した独創的な〝寅さん小説”』とあり、裏側には『「男はつらいよ」シリーズの子役、秀吉だった「私」は寅次郎と一緒に行方不明になった母を探す旅に出た……27年の歳月を経て、そんな昔話を伊豆の温泉宿で「美保純」とともに懐かしむ「私」。「男はつらいよ」の世界に迷い込める、味わいたっぷりな〝寅さん小説”、・・・』とあった。
私は自身「けっこう頭は柔らかい」方だと自惚れていたが、事実、折々に吐露される主人公「私」の悩みや人生観の理解にもついては行けたが、映画のシーンと登場人物とその俳優、その上に、作家によって創作された登場人物、その俳優や架空のシーンが縦横無尽にクロスし重ねられて語られていくので、正直に言って今も頭の中の整理はついていない。
山田洋次と寅さんシリーズへのオマージュ(賛辞)というほど単純ではなさそうだし、1969年(昭和44)から1995年(平成7)という時代、昭和と20世紀の「世紀末」の記録小説というほど記録的ではないし、その時代のエートス(特徴的行為パターン?)を総括したとも思えない。
結局作者の混沌に付き合わされただけなのかもしれず、迷い込んだ「男はつらいよ」の世界から抜け出せないまま最終ページを迎えてしまったし、滝口悠生の世界も山田洋次の世界も深く掘り下げられないまま出口に出てしまった。
そして、どういうわけかストーリーの脇道のような、そして度々登場する「美保純(※)のお尻」だけが記憶に残った。(※タコ社長の娘)
もしかして、そちらこそ本道だったのか、人生や青春の「理論と実践」を寅は軽くいなし、美保純のお尻こそが「愛と人生」であるかのような読後感だった。
それは、きっと、作者の意図とは相当ズレているだろうし、「しめしめ、やっぱりそこに引っかかった下衆がいたか」と嘲笑されていることだろう。
もう一度、ゆっくり読み直そうかと思っている。
「長谷やんが解らないなら、私が説いてやろう」と思われる方、「美保純のお尻に興味が・・」という方は読んでみて私に感想をご教示いただきたい。
それ以外の方に特段お勧めする気はない。
満男が、別れ際、寅に訊ねた。
おじさん、人間は何のために生きてるのかな。
・・・毎日生きてるとさ、時々、ああ、生まれてきてよかったなあ、って思うことがあるじゃねえか。
という有名な台詞廻しほどこの小説は単純ではない。ああ。
卯の花や不快指数の曇り空
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