昭和40年代の職場には半舷上陸(はんげんじょうりく)という言葉があった。
週休2日制導入前の土曜日だったかに、職員の半分が休暇を取って休むというようなものだった。
語源は旧帝国海軍の言葉で、港に停泊した船舶で半分ずつ交代で休暇(上陸)をとるものだった。
今でも、船舶の性質上、海上自衛隊や大型の船舶では使われているかもしれない。
そんな、遠くに忘れていた言葉を思い出したには訳がある。
義母の入所している部屋に挨拶の折りに必ず敬礼をされる方がいる。
先日、話を交わすと「昨日呉からここに来た」という。※昨日?もちろんそんなことはない。
「それで」と聞くと、巡洋艦『磐手(いわて)』に乗っていた。半舷上陸で下船していた折に爆撃されて沈没したという。
「大変でしたね」というと、「殴られてばかりでね」「鬼の磐手か地獄の伊勢か・・と言われたくらいキツカッタ」と。
70年の時空を超えてこの方の余生を覆ている最大の記憶は「殴られた」日々だったのだろうか。なお余談ながら「鬼の〇〇に地獄の〇〇」は、海軍のいろんな艦船の名前であちこちにあった。
私は、この方にそれ以上辛かった思い出を語ってもらうのが怖くて話の矛先を変えたのだった。
そういえば、義母に夫(義父)の兵隊だった頃の話を聞いたときは、「盗られまんねん」というのが義母の最初の言葉だった。
「員数合わせ」の言葉のとおり、軍隊内では泥棒は日常で、盗んだ兵隊よりも盗まれた兵隊が殴り飛ばされるのが大鉄則だった。
そういう世界は、正直の上に馬鹿が付くような正直者だった義父には耐えられなかったのだろう。
だから、その話を聞いていた義母の二次的記憶が、「軍隊内→盗られる→殴られる」という理不尽であった。
人間性を捨て去ることが一人前の兵隊になる前提条件だというのは、多くの刺突訓練の証言でも明らかだ(無実の庶民を度胸試しだといって刺殺させることで「人間を兵隊に改造」するのだ)。
そういう数多の理不尽な事実に目を塞ぎ、戦前の治安維持法は適法だったと法相が国会で答弁した。
少女が与謝野晶子の本を持っていただけで拷問に遭い、肉体的拷問とともに特高による輪姦という拷問もあった治安維持法である。
子や孫がそんな悲しみに逢わないために、安倍内閣を早急に退陣させるための共謀をしませんか。共謀罪!はんた~い。
かりゆしを着てウチナーの海思う
今日の一枚は「枇杷泥棒」。
上手に一粒をもいだところ。
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