人間ドックの結果が郵送されてきた。
この1年間は、身体に良いとされているような運動を全くしておらず、心筋梗塞の薬(ニトロ)と不整脈の薬を財布に入れている状態で過ごしてきたが(実際、軽度の発作もあったが)、どういう訳かそのあたりの数値は改善されていた。 どうなっているんだ!
『「高血圧の薬は飲むな」と週刊誌で報じられているが(正確にはそういう広告を読んだだけだが)、実際にはどうなんですか?』と聞いてみたが、「副作用も出て無いようだから続けたらどうですか」というのがドクターの軽い返事だった。
で、歳相応にあちこちに*やHというようなマークがついていた。
その人間ドックの結果を主治医に見せたら、「人間ドックはキツイ目に言うもんなんです」とさらに柔らかい解説で、γGDPなんかは「こんなの調べること自体が無意味だから一切気にする必要はない」とバッサリで、なんとなく嬉しいやら「これでいいのだろうか」と思ったり・・・
さて、アメリカの医療の崩壊は堤未果著「沈みゆく大国アメリカ〈逃げ切れ!日本の医療〉」に詳しいとこのブログでも何回も書いてきたが、今般、松本佐保著『熱狂する「神の国」アメリカ―大統領とキリスト教―』(文春新書)を読んで、初めて知って驚いたことがある。
それは、アメリカの右派がどうしてそんなに「国民皆保険」に反対するのかということで、単なる(実は単なるどころではない深刻さがあるのだが)民間保険業界の利益に反するからというだけではないということだった。(この本の主題がここにあるわけではなかったが)
つまり、極東の仏教徒には想像もできなかったことであるが、アメリカでは医療保険や社会保障の大きな部分をキリスト教会が担っているということだった。
何事も桁違いに大きなもの(メガチャーチ等)があるアメリカでは、「我が教会のメンバーになると医療や保険、法律相談などの様々な相談を受けられる」とアピールされ、そういう宗教団体に政府の助成金が出て、行政の肩代わりをしている。(知らなかった)
なので、国民皆保険制度などの福祉政策はキリスト教徒によるチャリティー活動で行うべきで、世俗的な国家がそういう個々の人々の生活に介入するのはキリスト教的な理念に反すると考える。これがアメリカの「小さな政府論」らしい。(本は読んでみるものである)
だとすると私は思う。キリスト教的なボランティア活動というセーフティーネット?など全く考えられない我が国で、「減税ニッポン」だとか「身を切る改革」「官から民へ」だとかといって「小さな政府」を標榜する口車に乗せられると、この国ではアメリカ以上に悲惨な地獄が待っていることになる。
大切なことは「小さな政府」でも「構造改革」でもなく、予算の使い方と税の負担に民主主義を貫くことである。
日本では、神をも恐れぬ金の亡者どもが「神の国」のキャッチコピーを好き勝手に盗用している。
市田忠義さんのフェースブックに感動したのでコメント欄をもって紹介したい。
返信削除涙もろい方だが、これまで他人の演説を聴いて泣いたことは一度もない。
今日、有楽町で鳥越さんの演説を聞いて初めて涙が滲んだ。
「私は、心の病気だった父に背を向けて生きてきた。だからあまり口もきかなかった。ところがその父の葬儀の時、心身障害者の方の弔辞を聞いて変わった。障害者のための共同作業所の責任者を父がしていたことを初めて知った。九州地方で最初の共同作業所を立ち上げたのが父だった。
弱者のために頑張りぬいた父の姿を見る思いがした。
私にはその親父の血が流れている。だからここに立つべくして立っている。これは運命だ。運命だから勝たねばならない。」
周りにたくさんの人がいたので、わからないようにそっと目に手をやった。
演説の良し悪しは、テクニックではない。そこに真実があるか。ほとばしるような他人への熱き思いが込められているかどうかだ。
鳥越さんの演説はお世辞にも流暢とは言えない。立て板に水ではない。だが、あの朴訥さ、誠実さがなんとも言えない。熱き心が私の胸を打つ。
誰かのようないやらしいつくり笑いは一切ない。「病み上がり」、とがんを克服した人を小馬鹿にしておきながら、「お気遣いをしただけ」「お元気になられたのを喜んでいると言いたかっただけなのに」と言ってはばからない人間とは器が違う。
れっきとした自民党員で、(離党もしていないし除名もされていない)改憲・核武装論者。「ファシズムは微笑みながらやってくる。」その典型のような人物に騙されてはいけない。負けるわけにはいかない。