15日の中央公聴会における元最高裁判所判事濱田邦夫氏の意見陳述は論理的でかつユーモアがあって楽しいものだった。
私には氏が安倍晋三氏を「何ともさもしい男だ」と憐れんでいたようにも思えた。
「今は亡き内閣法制局」にも笑ったが「知性と品性と理性、少なくともそれがあるような見せかけでもやっていただきたい」という氏の精一杯の皮肉に情けない気持ちで共感した。
翌日の新聞には「財界が武器輸出の推進を提言」という記事が掲載され、テレビのニュースは「社会保障費の抑制を厚労相に申し入れ」と報じた。
戦争法案の衣の下どころの騒ぎではない。露骨である。
ああ、この国ではもはや「見せかけ」すらない猥雑な思想が白昼堂々闊歩している。
濱田意見の全文を読んで心を清掃したい。
国会は緊迫している。
「弁護士で、元最高裁判所裁判官の濱田邦夫でございます。私は、今、坂元公述人が言われた立場と反対の立場を取る者です。その理由について、これから申し上げます。
まず、私の生い立ちというかですね、ちょっとご紹介したいんですが、70年前、私は9歳の少年でした。静岡市におりまして、戦災、戦争の惨禍というか、その状況をある程度経験しています。それと、駐留軍が、まあ占領軍がですね、米軍が進駐してきて、その米軍の振る舞いというか、それも見ております。また、いわゆる戦後民主主義教育の、いわば第一陣の世代ということでございます。
その後、日本は戦争をしないということで、経済的に非常に成長を遂げ、その間、私自身は、弁護士としてですね、主として海外のビジネスに携わって、国際経験というものを積んでおります。最高裁では、私のような経歴の者が最高裁に入るのはちょっと異例ではございましたけれども、それなりに色々貴重な経験をさせていただきました。今回、こちらの公聴会で意見を述べさせていただくバックグラウンドというものを、一応、紹介させていただきました。
安倍総理大臣がですね、この特別委員会で申されていることはですね、我が国を取り巻く安全保障環境が著しく変わっている、と。そのために、日米の緊密な協力が不可欠だということを仰っています。
そのこと自体については、いろいろ考え方があり得るので、戦後、昭和47年に政府見解というものが出ておりますけど、その当時は、沖縄返還に続いて日中の国交が回復したというような状況で、冷戦体制というものがありましたので、その状況と比較して、もう全然違うという認識がよろしいのかどうか、疑問があるところだと思います。
それから、その次に安倍総理が仰っていることはですね、今の子どもたちや未来の子どもたちへと戦争のない平和な社会を築いていくことは、政府の最も重要な責務だ、と。平和安全法制は、憲法第9条の範囲内で国民の命と平和な暮らしを守りぬくために不可欠な法制であると仰っているんですが、趣旨はまったく賛成でございます。私も、4人孫がおりましてですね、今日ここにいるというのも、この4人の孫のみならず、その世代に自由で平和な、豊かな社会を残したいという思いからでございますが、憲法9条の範囲内ではないんじゃないか、というのが、私の意見でございます。
その根拠としてはですね、一つあげられることは、我が国の最高裁判所という所は、成立した法律について、違憲であるという判断した事例が非常に少ない、と。ドイツとかアメリカは、割合頻繁に裁判所が憲法判断をしておるわけですけど、日本はしてないということを、海外に行きますとよく聞かれます。その理由はですね、日本の最高裁判所は、アメリカの最高裁判所と同じように、具体的な事例にもとづいての憲法判断ということで、抽象的に法令の合憲性を判断するいわゆる憲法裁判所とは違うということにあります。
なぜ、日本では、裁判所に、司法府に憲法判断が持ち込まれないかというと、これは、今は亡きというとちょっと大げさですけれど、内閣法制局というところがですね、60年にわたって非常に綿密に政府提案の合憲性を審査してきた、と。この歴史があったがゆえに、裁判所のほうは、そういう判断をしないでも済んだということがございます。
今回の法制については、聞くところによると、この伝統ある内閣法制局の合憲性のチェックというものが、ほとんどなされていない、というふうにうかがっておりますが、これは、将来、司法判断にその色々な法案が任されるというような事態にもなるんではないかというような感じもします。
それと、今の坂元公述人のお話を聞いていますと、『大丈夫だ、これで最高裁は違憲の判断をするわけない』と仰っていますが、私がここに出てきた一つの理由は、元最高裁判所裁判官ということでございますけれど、裁判官を私も5年間やりましたが、ルールというか規範として、やはり現役の裁判官たちに、影響を及ぼすようなことはOBとしてはやるべきではない、ということでございます。
私がこの問題について公に発言するようになったのは、ごく最近でございます。それは非常に危機感がございましてですね、そういう裁判官を経験した者の自立性ということだけでは済まない、つまり日本の民主社会の基盤が崩れていく、と。言論の自由とかですね、報道の自由、色々な意味で、それから学問の自由、これは、大学人がこれだけ立ち上がって反対しているということは、日本の知的活動についての重大な脅威だというふうにお考えになっている、ということがございます。
それで、本来は憲法9条の改正手続きを経るべきものを、内閣の閣議決定で急に変えるということはですね、法解釈の安定性という意味において、非常に問題がある。つまり、対外的に見ても、なぜ日本の憲法解釈が安定してきたかということは、今言ったように、司法判断がありますが、それを非常にサポートするというか、内閣の法制局の活動というものがあったわけですけれども、これが一内閣の判断で変えられるということであれば、失礼ながら、この内閣が変わればですね、また、元に戻せるよということにもなるわけです。その点は、結局は国民の審判ということになると思います。
法理論の問題としては、砂川判決と、昭和47年の政府見解というものがございますが、砂川判決については、ご承知のように、元最高裁判所長官の山口繁さんが非常に明快に述べておりまして、それと、私自身も、アメリカ・ハーバードスクールで勉強した身としてですね、英米法の拘束力ある判決の理由と、暴論ですね、そういうことは日本に直接は適用がなくても、基本的には、日本の最高裁判所の判決についても適用されると思っておりまして、砂川判決の具体的事案としては、米国の軍隊の存在が憲法に違反するかということがですね、中心的な事案でございまして、その理由として、自衛権というものがあるという抽象的な判断、それから統治権理論ということで、軽々に司法府が立法府の判断を覆すということは許されないということが述べられておりますけれども、個別的であろうが集団的であろうが、そういう自衛隊そのもの、元は警察予備隊と言っていたそういう存在について、争われた事案ではないという意味において、これを理由とするということは非常に問題がある、ということでございます。
それから、昭和47年の政府見解につきましてはですね、お手元に、重複になるとは思いましたけれど、お配りした資料というのがございますが、それを見ますとですね、カラーコピーで赤いハンコが出てますけれど、関与した吉國長官とかですね、真田次長、総務主官、それから参事官ですね、そういった方々が、国会でも証言しているように、この時には海外派兵というかですね、そういった集団的自衛権というものそのものは、政府としては認められない、と。それとあの、内閣法制局なり長官の意見というのは、あくまで内閣を助けるための判断でございまして、そのアドバイスにもとづいて、歴代の内閣が、総理大臣が決定した解釈でございます。
それで、今回私も初めて目にした資料がですね、その時、防衛庁というところが、『自衛行動の範囲について』という見解をまとめてそれを法制局の意見を求めた、ということでございまして、手書きのところには防衛庁とありますが、ワープロに打ちなおしたところには防衛庁という記載がございませんけれども、いずれにしろ、これは防衛庁のものと認められて、国会にも出されております。
この47年の政府見解なるものの、作成経過およびその後の、その当時の国会での答弁等を考えますとですね、政府としては明らかに、外国による武力行使というものの対象は、我が国である、と。これは日本語の読み方としてですね、普通の知的レベルの人ならば、問題なく、それは最後のほうを読めばですね、『従って』という第3段ではっきりしているわけで、それを強引にですね、その外国の武力行使というものが、日本に対するものに限らないんだと読み替えをするというのは、非常にこれはなんと言いますか、字義をあやつって、法律そのものを、法文そのものの意図するところとはかけ離れたことを主張する、と。これは悪しき例である、と。
こういうことでございまして、とても法律専門家の検証に耐えられない、と。まあ私なり、山口元長官が言っていることはですね、これは常識的なことを言っているまでで、現裁判官、現裁判所に影響を及ぼそうということじゃなくてですね、普通の一国民、一市民として、また、法律を勉強したものとして、当然のことを言っているまででございますので、私は、坂元公述人のように、最高裁では絶対違憲の判決が出ないというふうな楽観論は根拠がないんではないか、と思っております。
時間が限られていますので、そろそろやめなければなりませんが、このメリットとデメリットのところで、抑止力が強化されて、ということですけれども、ご承知のように、韓国、北朝鮮、中国、その他ですね、日本の武力強化等については非常に懸念を示しております。そういう近隣諸国の日本叩きというか、根拠がない面がかなりあるとは思いますが、それは国内的な事情から出てきている面が非常に強いわけですから、それに乗っかってこちらが、こういう海外派兵、戦力強化というかですね、こういうかたちをしますと、それを口実にして、それらの近隣諸国たちが、自分たちの国内政治の関係で、対外脅威を口実として、さらにそういった挑発行動なり武力強化をする、と。
つまり、悪循環になるわけで、これは今の中東で問題となっているところの、イスラミック・ステイトに、米国はじめ有志国が束になって爆撃をしてもですね、すぐにおさまらないということを見ても分かるように、このようなものは、戦力で解決するものではなくて、日本はこの60年、戦後70年の中で培った平和国家としての技術力ですとか経済力とかですね、それから物事の調整能力ですね、これはつまり、戦力によらないかたちで、世界の平和、世界の経済に貢献していく、と。
この基本的なスタンスを守るほうが、よほど重要なことでございまして、今回の法制が通った場合にはですね、非常に在外で活動している人道平和目的のために活動している人のみならず、一般の企業もですね、非常にこれはマイナスの影響を受ける、ということで、決してプラスマイナスをした場合、得になることはない、というふうに思います。
それで、英語では政治家のことをPoliticianとStatesmanと二つの言い方がございまして、ご承知のように、Politicianというのは目の前にある自分や関係ある人の利益を優先する、と。Statesmanというのはですね、国家百年の計という、自分の子ども、孫子の代の社会のあり方というものを、心して政治を行う、と。どうか皆様、そういうスタンスから、Statesmanとしての判断をしていただきたいと思います。
国際的にはですね、今度の法制についても、論理的整合性とかですね、そういうことが問題にされ得るわけですから、まして日本の中でまだ全体が納得していないような状況で、採決を強行するということは、日本という国の国際的信用という点からも、問題があるのではないかと。
私は、政治家の皆様には、知性と品性と、そして理性を尊重していただきたいし、少なくとも、それがあるような見せかけだけでも、これはやっていただきたいと。それはあの、皆様を選んだ国民のほうにも同じことだと思います。そういうことで、ぜひ、この法案については慎重審議をされて、悔いを末代に残すことがないようにしていただきたいと思います。ありがとうございました」
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