朝顔に釣瓶とられてもらひ水 (千代女)は、あまりに人口に膾炙された句なので、散水ホースのノズルが同じようにそうなっていた時には少し感動を覚えた。
だが、ほんとうに散水ホースの使用を止めるほど私は浮世離れはできていないから、優しく蔓をほどいて散水を行った。
場所は2階のベランダで、朝顔は1階からグリーンカーテンを経て2階ベランダ内にまで伸びてきたもの。
正確にはもう何年も自生している西洋朝顔で、この先、木枯らしのニュースを聞く頃まで花が続くという強者(つわもの)である。(もしかしたら日本朝顔かもしれない。混植している)
こうなると、朝顔が夏の季語ではなく秋の季語だというのが新暦どおりでも納得させられる。
この夏も、蚊に刺されるのが嫌なので、2階から庭の散水を行った。
私なりに合理的な方法だと思っているが、街行く人々からは横着な散水方法と思われているに違いない。
8月14日の記事で「エナガがシャワーを喜んだ」と書いたのも、このノズルで作ったシャワーだった。
朝顔というと、遠い昔の東京入谷の朝顔市の思い出がある。
江戸落語などで「恐れ入谷の鬼子母神」と言う言葉を聞いたことがあると思うが、「恐れ入りました」と「入谷」を書けただけの地口(じぐち)であるが、その入谷の鬼子母神の周辺に100軒ほどの露店が出て朝顔の鉢が売られる。40万人が買いに来るという。
こういう情緒のある行事は関西こそ・・と言いたいが、江戸下町のこの行事は圧巻でシャッポを脱ぐ(江戸弁風に言うと)。
露店の中に宅配業者もいて、買った鉢を即全国に配達してくれる。
私も団十郎朝顔を求めて家まで配達をしてもらった。
「団十郎」というのは「暫(しばらく)」の衣装に掛けたネーミングで海老茶色の大輪で、江戸の粋の象徴でもある。
残念ながらその種を育てることはできなかったが、楽しい想い出だけは残っている。
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