今日の記事は8月20日の「ミートショップは何処にあったか」という記事の続きというか解答編である。
「延喜式に平安京の東西の市における商売(店)名が84もあげられているのにその中に肉屋がないのはなぜか?」が問であった。(平城京も基本的に同じ)
私の推理は、① 万葉の時代から「薬猟(くすりがり)」という概念があったがそれは薬草だけでなく鹿等の狩猟も含んでいた概念だったと考えられる。
② 弘仁14年(823)の「日本惣国風土記」の石川郡富樫のところに、「・・鹿、猪革肉を貢ぐ。革は武庫部に献じ肉は典薬寮に送る」とあるところから、古代、肉(塩漬や干し肉)は「薬」のひとつと考えられていた。(典薬寮=てんやくりょう=くすりのつかさ)
③ よって、東西の市の中にある「薬店」で売買されていた。・・・・・というものであった。
これに対して小笠原先生の答えは、「東西の市以外のいわば青空市で売買されていた」というもので、① 平城京、平安京の東西の市は現代風にいえば「公設市場」であり、公的なものの市であった。
② よって、東西の市以外のいわば(自由な)青空市が存在した。例えば、木材は泉の津(今の木津市)で売買されていた。
③ あるいは奴婢の売買もあったが、それらは東西の市の中ではなかった。・・・というもの。
ちなみに、仏教の受容と相まって穢れを畏怖する観念の広がりにより聖的な東西の市以外の河原等で売買されていた可能性についても私は検討したが、先生の答えの中にその種の「穢れを忌避」というようなイデオロギーは問題にされていなかった。
以上が、8月20日の記事の答えである。
大きな規模の講座であったから、この問題はその日の付け足しのようなもので質疑応答の時間はなかった。
なので、先生の答えに異議はないが、正直にいえば証拠の説明が少なく、少々消化不良のまま会場を後にした。
それに、「酒も売買されていただろうがそういう店名はなく、酒はきっと『醤』の店で売られていただろう」という説明もあったが、その論でいけば肉=薬店という推論も成り立たないかと思ってみた。
それに、証拠不十分なままに推論をするのなら、私の推論の方が『面白いのになあ』と小唄を歌う引かれ者(注)の心境で帰路についた。(きっと学問的には面白いかどうかは関係なく、先生の答えが常識的で正しいことだろう)
【注】引かれ者の小唄・・・負け惜しみで強がりを言うこと(広辞苑)
私が消化不良の気分のまま書いた記事だから、読まれた方も消化不良の気分かもしれない。
返信削除しかし、史料がほとんどなく遺跡、遺物も見つかっていない事柄の推定はこういう状況が一番誠実な態度だろうと思っている。
このブログのテーマとはずれますが、「桂米團冶」のブログで知りましたが古代(邪馬台国)を題材にしたラジオ放送があるそうです。ゲストが邪馬台国九州福岡説を主張続けて人のようです。こちではKBSラジオが受信できません。9/9、16、23の17:30からだそうです。
返信削除スノウさん、うまく噛み合わないかも知れませんが、明日10日に少しだけ力を入れて記事をアップしたいと考えています。
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