土曜日の朝に漫然とテレビをつけたらNHKアーカイブス「あの人に会いたい」で堀田善衛(1918-1998)氏が出ていて、歴史について語っていた。
ええ加減な記憶を私なりに理解した言葉で書けば、曰く、中世の次に近世、近世の次に近代、近代の次に現代というように歴史を時間軸の線としてとらえるのでなく、現在または過去の文化を縦に斬ってみて、その断面からここは中世の〇〇、ここは近世の✕✕というように照らし合わせて歴史をみることが大事ではないか・・と指摘されているところに私は感心した。
さて、私は近代史など苦手で、その知識としては批判の多い司馬遼太郎の「坂の上の雲」や浅田次郎の「蒼穹の昴」「珍妃の井戸」「中原の虹」「マンチュリアンリポート」等々の小説の知識しかなく、日清戦争になると遠い時代劇の感覚でしかなかった。堀田善衛氏的に言えば現代と斬り離れた問題のある歴史認識といえようか。
そしてその土曜日は大型ごみの日であったから、テレビを見た後「捨てるものはないか」と物置を掻き回していたら全く記憶にない記章が出てきた。
裏を読むと『明治二十七八年従軍記章』と読めた。だから日清戦争の従軍記章である。
常識的に考えれば祖父のものだろうが、小学生のときに父を亡くした私には日清戦争への祖父の出征というような話は全く聞いてもいなかった家族史だった。
近代の戦争は遠い世界のことではないという感慨を新たにした。
実父母は家を大阪大空襲で丸焼けにされたし義父は徴兵されていたのだが、その3人ともが鬼籍に入った今、どうしても自分が生まれる前の遠い出来事としか感じられなくなっていた戦争が、この記章で「忘れるなよ」ともう一度訴えかけてきたような気がした。
確か堀田善衛氏は召集令状を手にしたとき、「若い国民に命を差し出せ」というときにあたってこの赤紙1枚は、なんとこの国は礼儀をわきまえない無礼な国なんだ」と思ったらしい。
首相や防衛相の国会答弁を見ていると、安倍内閣の断面からそういう無礼極まりない近代史の無反省が見えてくる。それが破滅への道であったと感じとることが「歴史に学ぶ」ということではないか。
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