2015年9月14日月曜日

市民が主人公になる

  現在の運動を称賛する立場からの論評にも時々見える、これまでの平和や民主主義を求める運動を十把ひとからげに「動員だった」と決めつけるのには賛成できないが、今回の戦争法案に反対する運動が大いに一人ひとりの自主的な市民運動として広がりつつあるのは注目すべきことだろう。
 少なくとも都会では、無関心だとか、個人主義、指示待ち人間などと「大人」達によって半ば軽蔑されてきた青年達のSNSなどで集まる新しい運動が、まるで本流であるかのような様相をさえ示している。

 13日(日曜日)、いつも利用している駅前でアピールしようという呼びかけがあったので参加した。
 スタンディングというらしいがポスターを持って1時間立とうというもので、7月には別の駅頭でも行った。
 この記事の書き出しでカッコよく評論家のようなことを言ったが、顔見知りもたくさん行き交う地元でスタンディングするのは少し恥ずかしいもので、全く躊躇しなかったというと嘘になるが、ここで下がったら今までのブログの記事がそれこそ嘘になる。

 というほど大層なものではなく、スタンディングなどやろうと思えば誰でもできる、何ということもない行動だった。
 参加者95名は私の知る限りでもこの地ではかつてない取り組みだったが、それでもローカルの哀しさか、妻は「ほとんど高齢者やったな」と冷やかした。
 少し家庭の事情で頻繁に大阪市内には行けないし、ましてや国会前には行けないが、こういう自主的な運動が全国的に広がる意味は大きい。
 儀礼的挨拶に違いないだろうが政府与党所属の府会議員が「ご苦労様です」とあいさつをして通って行った。ふふふふふ。
 

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