2015年4月2日木曜日

朧月夜

 春霞が実は黄砂だと解説されたりすると情緒も何もないが、「朧月夜」は好きな叙情歌である。
 その叙情歌が似合う季節になった。
 ずばり、菜の花が満開だ。・・・なので連想ゲームのようにこの歌が思い出される。
 おかしなもので、私の小さい頃の風景はというと、小学校区に田圃がひとつもないという堺の市街地のど真ん中で、ここに出てくる歌詞の世界とは縁遠いものだったが、歳がいくと名曲の歌詞を自分の原風景の中に折りたたむようだ。
 ウサギ狩りをしたこともないのに「ふるさと」を共通の故郷と納得し合っているのも同じことだろう。
 とはいえ、年甲斐もなく即物的な私は、そういう夕景色を愛でるより以前にその花を摘んでサラダに放りこんでいる。アブラナ、ミズナ、ルッコラの花、花、花。
  そうすると、サラダが蜂蜜をひっくり返したように香り立つ。
 ・・・というのも倒錯した感情で、花々の蜜を蜂が集めたものが蜂蜜なのだから、こっちの香りの方が本家であるのに「あっ、蜂蜜だ!」と感じてしまう。情けない。
 老人ホームから外出してきた義母にこれを出すと、小さな声で「朧月夜」を歌ったのには驚いた。名曲は人を元気にするようだ。
 「もう忘れた」といろんな話は途切れるが、義母の遠い記憶にはこの歌詞どおりの景色があったことだろう。義母の里は農村だった。

 4月1日、朧月夜というよりも菜種梅雨がぴったりの一日だった。


 

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