2014年3月15日土曜日

薄情な式辞

 安倍首相は、Wikipediaを引用して言えば、日本共産党の吉井英勝衆議院議員(当時)が、2006年12月13日に「巨大地震の発生に伴う安全機能の喪失など原発の危機から国民の安全を守ることに関する質問主意書」を提出して危険性を指摘し、当時の安倍内閣に見解を質したが、政府答弁はおざなりであり、実際には何もなされなかったため、それが悲劇的事故を回避できなかった原因として指摘されている・・と、Wikipediaが述べている、・・・という原発事故のその当事者である。
 私は、京大原子核工学科卒の吉井議員の指摘が的確であったということを宣伝したいわけではない。
 そうではなく、安倍晋三氏とはこのように、さらには年金問題でも「最後のお一人まで年金をお支払していく」と言っていたように、そしてIOC総会での「汚染水は完全にコントロールされている」のスピーチのように、その場限りのはったりを公言し責任を取らない人だということを指摘しておきたい。 
 さて、3.11の追悼式があった。以下にメディアでも話題に上がった3つの式辞とお言葉を並べてみた。言葉尻をとらえ揚げ足をとる気持ちはないが、安倍首相は故意に確信をもって原発事故を避けたように思う。
 それは「言葉の綾」などではなく、被災者を含む国民への挑戦状のように私は感じた。
 各自それぞれが素直に読み比べてほしい。


安倍首相式辞

本日ここに、天皇皇后両陛下の御臨席を仰ぎ、東日本大震災三周年追悼式を挙行するに当たり、政府を代表して、謹んで追悼の言葉を申し上げます。
 かけがえのない多くの命が失われ、東北地方を中心に未曾有の被害をもたらした東日本大震災の発生から、三年の歳月が経ちました。
 この震災により最愛の御親族を失われた御遺族の方々の深い悲しみに思いを致すとき、今なお悲痛の思いが胸に迫ってまいります。ここに改めて、衷心より哀悼の意を捧げます。また、今なお行方の分からない方々の御家族を始め、被災された全ての方々に、心からお見舞いを申し上げます。
 被災地に足を運ぶ度、営農の再開や水揚げに湧く漁港、災害公営住宅に入居された御家族のお姿など、復興が一歩一歩前に進んでいることを実感いたします。しかしながら、今なお、多くの方々が不自由な生活を送られています。原発事故のためにいまだ故郷に戻れない方々も数多くおられます。
 復興を更に加速し、被災者の方々が一日も早く普通の生活に戻られるようにすることが、天国で私たちを見守っている犠牲者の御霊に報いる途です。同時に、大震災の試練から我々が得た貴重な教訓をしっかりと胸に刻み、将来の様々な災害から、国民の生命、身体、財産を守り抜くため、倦まずたゆまず、災害に強い強靭な国づくりを進めていくことをここに固くお誓いいたします。
 復旧、復興の前進も、地元の方々の御努力、関係機関の尽力はもちろんのこと、全国各地から多くの支援に支えられてのものです。この震災では、本日ここに御列席の世界各国・各地域の皆様からも、多くの、温かく、心強い御支援を頂きました。改めて、感謝の意を申し上げたいと存じます。
 我が国の先人たちは、幾多の困難を克服し、その度に、より逞しく立ち上がってきました。今日を生きる私たちも、それに倣い、手を携えて、前を向いて歩んでいくことを改めてお誓いいたします。
 御霊の永遠に安らかならんことを改めてお祈り申し上げるとともに、御遺族の皆様の御平安を心から祈念し、私の式辞といたします。


伊吹衆議院議長式辞

天皇・皇后両陛下のご臨席を仰ぎ、東日本大震災三周年の追悼式が行なわれるにあたり、謹んで追悼の言葉を申し述べます。 
 3年前のきょう、東日本を襲った大地震と津波により、東日本の国土は破壊され、多くの尊い命が失われました。犠牲となられた方々と、ご遺族のみなさまに改めてお悔やみを申し上げます。 
 そして被災された方々、また福島での原子力発電所の事故により避難を余儀なくされた方々のお気持ちを思うとき、月並みなお見舞いの言葉を申し上げることすら憚られるのが率直な心境です。 
 多くの関係者のご努力により、復興に向けた歩みは着実に進んでいます。
 震災後、被災地の惨状に心を痛めた方々が、被災地を支援するボランティア活動に参加して下さり、多くのきょうお見えの諸外国からの温かいご支援を頂いたことは、物心両面で、復興の大きな助けとなりました。ご支援いただいた皆様に対し、深く感謝申し上げたいと存じます。
 
 一方で、震災から3年が経過し、被災地以外では、大震災以前とほぼ変わらぬ日々の暮らしが営まれております。
 しかし、被災地では仮設住宅等で、ご不自由な生活を余儀なくされている方々もなお多く、震災前の生活を取り戻すことは容易ではありません。特に原子力発電所事故のあった福島県では住み慣れたふるさとに戻ることができず、今なお放射性物質による汚染に苦しんでいる方々が多くおられる現状を、私たちは忘れるべきではないでしょう。
 
 そういった方々の事を思うと、電力を湯水の如く使い、物質的に快適な生活を当然のように送っていた我々一人一人の責任を、全て福島の被災者の方々に負わせてしまったのではないかという気持ちだけは持ち続けなりません。 
 思えば、私たちの祖先は、自然の恵みである太陽と水のおかげで作物を育て、命をつないできました。
 それゆえ、自分たちではどうすることもできない自然への畏敬と、感謝という、謙虚さが受け継がれてきたのが日本人の心根、文化の根底にあったはずです。
 
 科学技術の進歩により、私たちの暮らしは確かに豊かになりましたが、他方で、人間が自然を支配できるという驕りが生じたのではないでしょうか。そのことが、核兵器による悲劇を生み、福島の原発事故を生んだのだと思います。 
 3年目の3.11を迎えるに際し、私たち一人一人が、電力は無尽蔵に使えるものとの前提に立ったライフスタイルを見直し、反省し、日本人として言行一致の姿勢で、省エネルギーと省電力の暮らしに舵を切らねばなりません。 
 主権者たる国民より選挙を通じて主権を委ねられている我々国会議員は、被災地の復興に全力で取り組むとともに、震災で得た教訓を元にエネルギー政策の在り方について、現実社会を混乱させることなく、将来の脱原発を見据えて議論を尽くしてまいりたいと存じます。 
 結びに、震災で亡くなられた方々のご冥福を心からお祈りし、追悼の言葉と致します。 


天皇陛下お言葉

本日、東日本大震災から三周年を迎え、ここに一同と共に、震災によって失われた人々とその遺族に対し、改めて深く哀悼の意を表します。
 3年前の今日、東日本を襲った巨大地震とそれに伴う津波は、2万人を超す死者、行方不明者を生じました。今なお多くの被災者が、被災地で、また、避難先で、困難な暮らしを続けています。さらにこの震災により、原子力発電所の事故が発生し、放射能汚染地域の立ち入りが制限されているため、多くの人々が住み慣れた地域から離れることを余儀なくされています。いまだに自らの家に帰還する見通しが立っていない人々が多いことを思うと心が痛みます。
 この3年間、被災地においては、人々が厳しい状況の中、お互いの絆を大切にしつつ、幾多の困難を乗り越え、復興に向けて懸命に努力を続けてきました。また、国内外の人々がこうした努力を支援するため、引き続き様々な形で尽力していることを心強く思っています。
 被災した人々の上には、今も様々な苦労があることと察しています。この人々の健康が守られ、どうか希望を失うことなくこれからを過ごしていかれるよう、長きにわたって国民皆が心を一つにして寄り添っていくことが大切と思います。そして、この大震災の記憶を決して忘れることなく子孫に伝え、防災に対する心掛けを育み、安全な国土を築くことを目指して進んでいくことを期待しています。
 被災地に一日も早く安らかな日々の戻ることを一同と共に願い、御霊(みたま)への追悼の言葉といたします。

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