19日、花は咲き始めだが 香りは十分主張している |
沈丁花だ。
沈丁花は春の彼岸花と言っても良いと思うが、どういうわけかそのような記述は見当たらない。
そういえば、木によってはもっと早くから咲いているのもある。だから、春の彼岸花だと思っているのは私だけなのだろう。
匂いが沈香のようで花の形が丁子のようだから沈丁花と言われるらしい。
そのとおり、春の夕刻の艶っぽい香りは、春風の明るさとは正反対の、物憂い空気の固まりのように毎年感じる。
この、如何にも私小説風の沈丁花の香りについて、少しばかり歳時記や随筆をめくってみたが、ピタッと来るような文章は見つけられなかった。こんな強烈な個性の花なのに不思議だ。
私の方が過剰反応なのだろうか。
沈丁花の香りに包まれるように下から覗いているのは道祖神だが、道行く人から「高砂ですか?」「いつも楽しくこの道を歩いてます。」と話しかけられた。
私は、元々は賽の神で悪霊の侵入を防いでいたものだと思うが、夫婦像の頃には、転じて集落の内の豊穣を見守る神になったのだと勝手に考えている。
だから、見る人が翁と媼と見て、偕老同穴の教えと思ってもらっても一向に構わない。
通り過ぎる人々が芳香を感じながら一瞬でもクスッとしてくれたらよい。
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