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天皇、皇后両陛下は25日、式年遷宮があった伊勢神宮に参拝するため、新幹線の臨時専用列車で東京駅を出発した。歴代天皇に受け継がれる「三種の神器」の剣と璽(じ・まが玉)も一緒に運ばれた。剣と璽が皇居外に持ち出されたのは20年ぶり。新幹線車内では、剣と璽は両陛下と同じ車両に設けられた専用台に安置された。両陛下は名古屋駅で近鉄特急「しまかぜ」に乗り換え、剣と璽は両陛下が乗る車両の隣の専用車両に置かれる予定。
草薙剣(複製)、八坂瓊曲玉、八咫鏡という三種の神器の前二者のことであるが、歴史の復習というか、伝統芸能というか、古代宗教というか、そういう珍しいものを見させて頂いたという感じでこの記事を半ば好意的に読んだ。
昔の「お召列車」には専用の棚があったように覚えている。今は「専用の台」と「専用車両」らしい。
ある種の宗教行事と考えれば、その仰々しさや時代とのズレを指摘するのは大人げないが、とは言うものの、私はどうしても『昭和天皇独白録』を思い出す。
ポツダム宣言受諾を決意した時の独白に、「このまゝでは日本民族は亡びて終ふ」との思いに続けて、「敵が伊勢湾附近に上陸すれば、伊勢熱田両神宮は直ちに敵の制圧下に入り、神器の移動の餘裕はなく、その確保の見込みが立たない、これでは国体護持は難しい、故にこの際、私の一身は犠牲にしても講和をせねばならぬと思った。」という、
そこには、広島も長崎も沖縄も、餓死した兵も空襲下の庶民も、ましてやアジアの人々もなかったようだ。
このように、三種の神器に罪はないかもしれないが、これらは皇国史観の要石だった気がする。
私は、公式の発言を見る限り、今の天皇、皇后、皇太子、それを取り巻く宮内庁は現憲法の精神を尊重しようと努力しているように感じている。
しかし、首相が改憲や海外派兵を言い、ネトウヨ(主にネット世界での右翼)など右翼ナショナリズムの声が大きくなっている今日、何も現人神に繋がりかねない剣璽動座を20年ぶりにしなくてもよいのに・・といらぬ心配をしたくなっている。
歴史の教訓は、実に些細な事柄の積み重ねが、気が付いた時には制御不能なほどのファシズムを成長させていたということなのだから。
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