2014年3月6日木曜日

学習するもの しないもの

  先日、一般の解説書では「カラスは人に懐かないしカメラを向けると飛び立つ」と書いてあるが、奈良公園のハシボソガラスは「観光客はおとなしい」と学習していると書いた。
 スズメについての同じ経験は東京の日比谷公園でも体験したが、そこの松本楼ではオープンテラスで食事をしているとテーブルにまで雀が飛んでくるし、指先のご飯粒さえ啄ばむ。(ヨーロッパのスズメとは種類が異なり日本のスズメは懐かないと本にはある。)

 さて、奈良公園でいつも感心するのは例の鹿で、鹿煎餅の店の前にたむろしているが、商売物には手を出さず、観光客が買ったとたんにすり寄っていく。(おじさんに聞いたところでは、油断をすると商売物を食べられることもないことはないとのことだが、普通には見事に売れる前と売れてからとを峻別している。)
 奈良公園の鹿がお辞儀をすると煎餅がもらえるということを知っているということは、誰もが見た光景だと思う。
 あれは、鹿は元々お辞儀の動作をしたのではなく、角を下から上へ「こじ上げる」ように相手に対する基本動作をしたのだと思うが、それは結果として、お辞儀だと勘違いした人間によって「わあ可愛い」と煎餅をくれることや、また別の結果として女性客を後ろから「スカートめくり」するような動作になっていて、すると、キャーッと煎餅を落としたり手を下げたりするから餌にありつける・・とこれもまた学習したに違いない。
 奈良公園に行くのにスカートは要注意である。
 
 さらに驚いたことは、少なくない鹿が信号を守っているという事実である。
 奈良公園一帯は鹿の方が優先だから、堂々と車道を渡る鹿が多いが、県庁前の鹿の何頭かは明らかに信号を守っている。嘘ではない。
 観察した私の理解では、道の向こう側の歩行者が止まっている時にはこちら側で止まり、向こうの歩行者がこちらに向いて歩き始めると対向して歩き始めている。あるいは、道のこちら側で止まっていた傍らの人間が歩き始めるのに応じたのか知れないが。
 そういう場面を何回か目撃した。(赤信号で止まっている鹿を)
 あれだけ鹿の交通事故があるのだから、鹿社会でも話題になり学習したのだろう。
 戦後民主主義が積み上げてきた憲法解釈を何人かの意見で変えてしまうというニュースを聞くたびに、彼の人たちには奈良公園の鹿並みの学習とルールの遵守が欲しいと思ってしまう。

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