2014年3月10日月曜日

原発ゼロしかない


  あれから3年、このまま風化させてはならないという思いで「さよなら原発3.9大阪集会」に参加した。
 集会は、再稼働を企む「原発利権共同体」に向けての抗議の性格もあるが、同時に、まだ参加には至っていない幅広い市民に向けての呼びかけの場でもあると私は考えている。
 だから、参加者が自主的にアピールの方法を工夫することが大切だし、そういう参加者が増えれば楽しいのにと願っている。
 ということは、言いだしっぺは何かしなければならないわけで、今回、私は『鹿の角のカチューシャのプラカード?』を考えついた。
 そのアイデアを身近な友人に尋ねたところ、4人中3人は「恥ずかしい」といい、1人だけは「つけてもええで」ということで、少々めげてしまっていた。(この1人がいなければこの企画はボツになっていた。)
 それでも、「解ってくれる人はいるはずや」と思い直し、『鹿の角のカチューシャ』を遠慮して8個だけ作って参加した。
 作ったと言っても大層なものでなく、出来合いの鹿の角のカチューシャ(実はクリスマス用のトナカイの売れ残り)に鉢巻風のメッセージを書いただけだ。
 「廃炉しかない」「原発0しかない」という文句で、「しか」の部分をイラストにした。
 結果は、披露した途端はみなさん「??」という感じだったが、すぐに「ほしい」「ほしい」と好評で、また、周囲に対する効果も大好評だった。(決して無理強いはしなかった。)嗚呼、もっと作っていくべきだった。
 さらに、友人が持参してくれた綺麗な写真入りのプラカード兼紙袋も好評で、明るい隊列になったと思っている。
 ただ、スマホのユーチューブと超小型ハンドマイクでジョーンバエズのウィシャルオーバーカムをパレード中に合唱する企画は、我が家のテストでは「いける」と思っていたのだが、大阪市内の騒音にはコテンパンに打ち負かされ大失敗に終わってしまった。これは次回への宿題である。
 フクシマから避難された方々の悲しみを思うとこんな企画の話はふざけているように思われないかとの心配もあるが、一番大切なことはまともな世論を広げることだろう。
 その場合に大切なことはおおらかな訴え方だと思う。「怒りの言葉」は心には届き難いものなのだ。

6 件のコメント:

  1. 風邪が治りきらずどこまで参加できるかと不安だったのですが「鹿の角のカチューシャ」に釣られて最後まで歩くシカないかと楽しんで歩きとおせました。ありがとう!福島の人たちもふざけているなんて思わないでしょう。

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  2. 確(しか)と楽しんでいただけたでしょうか。この鹿(トナカイ)のカチューシャ、実はポストクリスマスシーズンには普通は手に入りませんが、奈良公園周辺の店だけには置いてあるシロモノなので、購入のためにわざわざ奈良まで行ってきた甲斐があります。

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  3.  折れた角、家までもって帰り中身を確認しました接着剤が少し弱かった為だと解りましたが、角がどうのと言うより原発いかになくすかと言うテーマを参加者全員が真剣に考えていることがよく解りました、創意工夫して原発を無くすために皆が真剣に解りやすく共感を得られるようなものを皆がアイデアを出し会える場があればもっと素晴らしいものができるのでは?とおもいます。
     ハンドマイクの拡声にしても、アイデアとしては素晴らしい発想だと思います、とても良い思い付きだと感心しきりです今後とも想像力発揮して皆を驚かせる様なものを期待しています。

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  4. chinunoumiさん、心強い応援演説ありがとうございます。
     此の頃は神経が図太くなって「行動しなくて失敗しないより、行動して失敗する方がよい」と思うようにしています。
     ジョーンバエズも、家の中ではものすごく大きく聞こえたのですが・・・・・・、
     今後とも、アイデアを出し合い、工作をしあいましょう。
     そうすると、一つ一つの行動も楽しくなるに違いありません。・・・・と信じることにしています。

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  5. 参加の皆さんご苦労さんでした。三年前、私は地震、津波災害だけの復興だけでも最低10年はかかるだろうと思っていました。そこに原発事故という人災が加わり、さらに困難な状況になったと暗澹たる思いになっていました。しかし、当時の民主党政権も現安倍内閣も被災地を訪れて形ばかりの復興策を云うものの、東京に戻れば、事故は終息した、さあ、TOKYOオリンピックへ一緒に頑張ろうと被災地の人々を無視したかのようにはしゃいでいます。政治の力も大事ですが我々の新たな取り組みが必要ではないかと思っています。

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  6.  あまりマスコミに取り上げられませんでしたが、首相は国会でIOC総会での発言を問われ、「当時の世界各国の不安を払しょくするためにはあのように言うことが必要だった」という主旨の答弁をしていましたが、要するに「嘘も方便で何が悪い、その結果東京五輪が実現したのだからいいじゃないか」という居直りでした。でも、これって、「私は目的のためなら嘘をつく、結果がよければいいじゃないか」ということですよね。私はこういう精神は下劣だと思います。そしてこれを肯定すれば、国民全体が下劣だということになると思うのです。

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