2011年1月20日木曜日

本日のトリドリ

 正月飾り関係の“とんど”を庭のチムニーで私的に挙行し、注連縄の蜜柑は燃えないので木の枝にぶら下げておいたところ、早速一羽のヒヨドリが所有を宣言し、気の向いたときには突つき、満腹のときには近くの枝で見張りをし、メジロやシジュウカラなどが飛んでくると恫喝して追っ払う。

 このヒヨドリ、猫の額畑のレタスを丸坊主にし、サラダ水菜も相当かじって、なかなかの食通と見えたが、ルッコラだけは苦手らしくグルメとまでは言いがたい。
 この可愛くもあるが憎たらしく、なんとも中途半端なヒヨドリは写真を撮る気にもならない。

 代わりに、今日近所で撮ったのは、
 ツグミは、立ち姿に品がある。
 メジロは、どんな姿にも愛嬌がある。
 シロハラは、去年まではいなかった。落葉の山を力強く掘って虫を探しているようだ。有珍客自遠方来といったところで楽しんでいる。
 ヤマガラとシジュウカラは、高校生がツレだって遊んでいる感じ。
 カワラヒワは、くちばしが逞しい。

ツグミ

メジロ

シロハラ

シロハラ
ヤマガラ

シジュウカラ


カワラヒワ


 今朝、母のところに、施設の庭で昨日撮ったツグミの写真を持参したら、そこにいた職員全員が「見たことない」と驚いたので驚いた。
 おいおい、私は毎日1~2分庭を横切っているだけだが、本当にほぼ毎日見ているぞ。
 我が妻が最近まで「蝙蝠なんか見たことない」と言っていたのと同じで、目に入っているものでも関心を向けないことには「見たことない」・・となるというのをつくづく実感した。
 (もしかしたら政治や経済の情報も同じことかも・・)
 入所の先輩諸氏は、「昔は焼き鳥にされていた」という私の書いたコメントに反応してくれ、「伏見稲荷で売ってた」とか「可哀相やった」と楽しいおしゃべりがひと時盛り上がった。
 このごろは保育園の父母会をやっていたときのような気になっている。


2011年1月17日月曜日

雀の小便タンゴを突つくキツツキ

 今日も、ギーッ キキキキキと、コゲラ(キツツキ)の訪問があった。
 近頃は木にへばり付いた“雀の小便タンゴ(イラガの繭)”を突ついて、その蛹をメーンディッシュにしている。
 イラガは本邦最強の毛虫のため、コゲラのランチを観察しながら「ええぞ!コゲラ」と窓の内側からエールを送っている次第。
 蛹が羽化した後の繭の形はナルホド“雀の小便タンゴ”。
 こういう先人の命名、連想の豊かさには脱帽。
 といっても、もう子供らの世代には“小便タンゴ”は全くの死語で、長々と解説しないとわからない。

 この話、何回もしている。 同じことを繰り返すのは年のいった証拠か・・・と反省しつつも、今日もコゲラのランチに感動したのでブログに書いてみた。










2011年1月16日日曜日

カナディアンメープルはカエデじゃなかった

 11月に(ブログ掲載の)素晴らしい紅葉だったカナディアンメープルは、裸になっても冬空に存在感を示している。

 しかも、枝先にクリスマスツリーのようにぶら下がっているカナディアンメープルの実の殻も、つらつら眺めると何とも言えない愛嬌がある。

 きっとこの殻からあの竹とんぼに似たカエデ独特の種が飛んでいったのだろうと晩秋から探してみたが・・・・・、残念ながら今日まで見つけられないでいた。

 そこで改めて調べてみたところ、カエデ科とばかりに信じていたのが間違いで、これはカエデ科とは別種のマンサク科であることを初めて知った。エエーッ!

 明日は、入所者はもちろん職員にまで「庭の木はカナダのカエデです。」と訳知り顔で説明してきたのを訂正しなければならない。

 しかし、入所者にこの説明が理解されるかどうか・・・。

 エイ、“カナダのカエデのままでも誰も困るわけでもない” “紅葉の素晴らしい木を楓(カエデ)というのだ”・・と思ってみたりしている。

2011年1月15日土曜日

女正月

 「今日は女正月でおめでとう」と言って、施設の母と元気そうな何人かにホンの少しだけワインを注いだら、いっぺんに愉快になって歌い出す人もいて、隠れた飲酒(と幇助)がバレそうになった。
 持参した、近くの水上池で撮ったクイナの仲間のバン、オオバンの写真にも反応してくれた人も多く、「水上池は磐之媛命陵の隣」と説明すると、反応のない周囲の若い職員に対して先輩諸氏が「仁徳天皇妃や」「ヤキモチ焼いて飛びだしてん」などと説明。一瞬どこが認知症?というシーンが生まれておかしかった。
 
 追伸  水上池に行ったところ、何年か前にはいなかったコブ白鳥がいて感動したが、他の雁、鴨、鵜などの水鳥が人間を警戒して遠くにいるにもかかわらず、コブ白鳥だけは悠々と岸に近づいてきて、まるで餌を欲しがっている様だったのでがっかりした。

バン














コブハクチョウ
オオバン

2011年1月13日木曜日

母のオヤツは全て自足だった

 今夜、大正生まれの義母に、小さい頃の思い出話パートⅡを聞かせてもらった。

 ・・・・・・田植えのときはハレの日なんで“しんこ”を作ったな。
 米粉ともち粉を蒸して手の平で団子にし、村で共有していた“ねじり型”に入れて仕上げの蒸しをして・・それを砂糖醤油で食べたのが何んとも言えず美味しかったな。(写真は「聞き書き奈良の食事」)

 その外のオヤツといえば、蜂の子、イナゴ、泥鰌、田螺、ザリガニ、沢蟹―――オヤツをお金で買った記憶はないな。(考えようによっては豊かなオヤツかも・・?)

 そういう中で、オヤツではないけど「今日はご馳走!」といえば決まって鶏やった。鶏しかなかった。しかし、絞めているのを見てからは、とうとう何十年間も一切食べられなかったな。それを食べられるようになったのは孫(ウチの子)がケンタッキーフライドチキンを食べるのに付き合ってからや。今では“かしわ”は美味しいと思っている。孫のおかげやな。
 
 食べ物ではないけど、寒い冬には牛糞の山に手を突っ込んで暖をとったもんや。藁しか食べていない牛糞は汚いなどと思ったことがない。今から考えると全て自前で生活していたもんな。豊かではなかったかも知れんけど、と言って貧しいわけでもなかったかも(結構な田を持っていた農家の娘の遠い思い出)。・・・・・・
 
 今日の話はここまで。
 草食系の男女子諸君。この祖父母世代の逞しさを噛締めるべし。チャンチャン。

2011年1月10日月曜日

“えべっさん”に感謝感謝

 施設の生活は単調なので出来るだけ刺激を持ち込むように心がけており、今日は妻が妻の母のところに福笹を見せに行ったが周囲の多くが興味を示さず、「ハハハすべった」と言って帰ってきた。

 実母の方は今日は比較的体調がよく、大声で「商売繁盛で笹もってこい、商売繁盛で笹もってこい」と笹を振ったので、一緒に歌いだしたり手を叩いたりする人もいて部屋中が盛り上がった。この一瞬の笑い声だけでも“えべっさんのご利益ご利益”と何かじ~んと感謝した。

 「福笹を飾っておきたい」と言ったが「(施設の)イエス様に悪いやろ」と答えたら「それもそうやな」と納得した。

 帰る時、いつも無表情の方もにっこりと挨拶を返してくれた。

2011年1月9日日曜日

宵戎は大混雑

 4日のブログを書いた責任上、今宮戎(今日は宵戎)に詣でて来たが、不況に比例した大混雑。
 もちろん、その大混雑の中を、夫婦で、泳ぐように、笹をもらって、福娘に吉兆を付けてもらって、裏口をドンドン叩いて、しっかりとお願いしたのは言うまでもない。
 ミナミまで帰ってきたら丁度「宝恵駕」に遭遇したので、今回のブログは南地花街の綺麗どころでお楽しみを。
 それでは、お手を拝借、打ちましょ チョン チョン もひとつせ チョン チョン 祝うて三度 チョ チョン チョン。

















2011年1月6日木曜日

魔女の忍び泣く声は恐ろしい

 通勤の頃は朝の5時40分に家を出て駅まで20分程歩いていた。
 真冬の頃は真っ暗で空気はキンキンに冷えていた。
 そんな時、突如背中の後の方からヒュヒュヒュ~~ン ヒュヒュヒュ~~ンという不思議な音が聞こえてきたことが何回もあった。
 まだ鳥が飛ぶ時間でもなし、キンキンに冷え切った電線か、歩道橋の微かな振動か、そのたびに周囲を探索するも原因不明で、魔女の忍び泣きに似た怪奇現象は冷え切った真っ暗な空気以上に背中を凍らせた。
 こんな不思議な現象だから、必ず理科の本や文学の中に出ているはずだと2年間ほど探してみたが見当たらず、これは魔女の忍び泣きに違いないと確信し始めた頃、一瞬、真っ暗の空に真っ黒な水鳥らしいものがヒュンヒュンヒュンと超低空飛行をしているのを発見(幻覚?)した。夜間に餌場に行っていた帰り?と思われる。(それとも出勤??)
 誰ですか! 「鳥は鳥目だ」と言ったのは! ・・・・・ 真っ暗の中を確かに飛んでいましたぞ・・
 どなたか、こんな魔女の忍び泣きを聞いたお方はおられませんか。

 そんな風に魔女に間違われ、新型インフルエンザの運び人のレッテルを張られ、水鳥は悲しからずといったところですが、近くの永谷池のオシドリやカワセミは文句なしに「愛しからずや」といってよいでしょう。・・今日、電動アシスト自転車で行って撮ってきました。(左オシドリ 右カワセミ)



2011年1月4日火曜日

えべっさんはフレンドリー

 西宮戎(兵庫県)と今宮戎(大阪府)は親子というか兄弟というか非常に親しい間柄で・・・、同じ攝津の国の中で10数キロしか離れておらず、何れも正月の十日戎の賑わいは有名。
 ところが今宮戎(の十日戎)で育った浪速っ子は、西宮戎(の十日戎)に行くと「ええー。これが“戎宮総本社”のえべっさん?」と二つのことで驚きます。

 その一つは、十日戎と言えば「商売繁盛で笹持って来い。今年の恵方はここだっせ。」と、ケタタマシイほどに境内がウルサイ筈のものが、西宮戎ではただ普通の寺社のように吉兆(福笹)を売っているだけであることに拍子抜け。
 今宮戎では、膨大な量の笹が参拝者に配られ、文字どおりその笹を持って福娘や巫女のところで吉兆を付けてもらう(もちろん有料)のがスタンダード。これでこそ「商売繁盛で笹持って来い。」になるわけです。

 その二は、西宮戎には裏口がないので戸惑うこと戸惑うこと。
 今宮戎では「えべっさんは難聴」と固く信じられており、裏に回って裏口(今は大きな銅鑼のようなものがある)をドンドンドンと叩いて、「何処其処の〇〇でっせ。〇〇の願い事どうか頼みまっせ!」と大声で頼まないと全くご利益はないというのが常識。(正面の拝殿は遠すぎ、参拝客が多いのでえべっさんは各自の願い事を聞き取れない・・・故に、正面だけ詣ったのでは賽銭は無駄だ・・というわけ)
 まるで吉本新喜劇のようだが、浪速っ子はこの“えべっさんにハグをするような”スキンシップ溢れるお詣り方法が大好きなんです。これってケンミンショーになりません?

 さて、なんで十日戎のことを今日アップしたかと言うと、今日は奈良の南市の(5日戎の)宵戎であったため「奈良ではどうかな」と確かめに行った次第。答えは、奈良は概ね今宮戎派。
 ところが、境内で観察していたところ、17時に“5日戎開会の神事(宵宮祭)”が突然厳かに始まり、春日の神官、講の役員、そして膨れ上がった参拝者がお社に向かって粛々と・・・
 私はというと、突然の開会にタイミングを逸し、ただ一人境内のお社側に取り残され、神事の会場を突っ切って出て行くわけにも行かず、で、皆さんと対面したまま・・・大勢の「あのおっさんは誰やろう」という猜疑の眼を一身に浴びたまま・・・(背中にドット冷や汗・・・)
 こうなったら仕方がないので、まるで浅見光彦みたいなルポライターが取材しているかのような風をして・・・当然のような顔で大祓詞(おほはらへことば)を神官と一緒に“恐(かしこ)み恐(かしこ)みも白(まお)した・・
 ああ、今年もこんなドジでトンチンカンな一年になるに違いない・・と、今日100%確信した。

旧遊里の奥にある

結構な賑わい

笹は本物だが買い求める




裏戸を叩く

突然始まった神事

裏戸でもう一度念を押す

2011年1月3日月曜日

珍客第1号はシロハラ

 滅多に暗い林からは出てこない大型ツグミ類のシロハラが我が家を訪問してくれた。
 今年の珍客第1号だ。
 これといった特徴はないが、「見たことのない鳥が来た!」と夫婦で大騒ぎ。
 京阪奈の中の狭い狭い範囲の自然を楽しんでいる我がブログにとって幸先のよい年始になった。

 ところが、折角だからと昨年遭遇したアカハラの写真を探しているうちに写真のCDを相当数壊してしまった。
 今年もパソコンには泣かされそうだ。
 そりゃ、意味も解らずいらいまくったらよくないことは解っているのだが、大阪人のイラチの習性は今更なおらない。
 今年もパソコンに向かって「まともな日本語で答えんか””」と一人で大声をあげながら暮らしていくに違いありません。誰かパソコンの師匠になってください。
 幸先がよかったのか悪かったのか。この珍客はどのような「年」を背負って飛んできたのでしょう。

2011年1月2日日曜日

お正月の想い出は無いと言う母

 お正月ということで義母の外泊許可を許していただいた。
 よい機会なので小さい頃の農家の想い出をいろいろ尋ねてみた。
 藁を編んで縄にし、綿の花で糸を紡ぎ、莚(むしろ)を作ったり、草履を作ったりしたことや、・・
 おやつの中で一番美味しかったのは自家製の端午の節句の粽(ちまき)で、それを醤油で食べたことなど、まるで宮本常一になって聞き入った。
 そして、田植え、草取り、薪取り、大豆・小豆の土寄せ、稲刈り、松茸山の番、茸取りと、大正生まれの農家の娘には手伝い以外の記憶がないようだった。
 そこで「縄の編み方を教えて」と言ったところ、「もう忘れた」と言いながらも手の方は無意識のうちに動き出し、これが要介護4???というような力のこもった俊敏な手さばきで・・・、それはもう紛れもない大正生まれの農家の娘の手であった。

2011年1月1日土曜日

謹賀新年



 昨年は多くの方々に言葉に尽くせぬ程お世話になった。
 こういう感慨に耽りながら歳を越せたのはありがたいと思う。
 ほんとうにそう思う。
 ブログのとおり婦唱夫随の妻にも感謝。

     冬空に両手を広げている秋楡は気高く美しい。
     止まない寒風はないという達観がある。
     かくありたいとその度に思う。
     と言いつつ一喜一憂しながら今年も暮らすことだろう。

 今年もどうかよろしくお願いします。

2010年12月26日日曜日

千本餅つきに民族の記憶をみた

 奈良市とは名ばかりの(すみません)田原地区の“千本餅つき”に参加してきた。
 河瀬直美監督“殯の森”のロケ地、太安萬侶の墓が約30年前に発見された地。静かな山里は雪化粧で待っていてくれた。
 地元の保存会の人々の歌う“餅つき唄”に合せて細い棒で搗く餅つきは、予想していた以上に合理的で出来栄えも立派に仕上がったのには驚いた。
 古老いわく、
 50年ぐらい前までは足で搗いていた。(シーソー式の装置が各家にあった。)
 祝い事の場合は一臼2升とか3升を搗き、葬式の時には端数のついた量や3升を超える量を搗く。・・・とのこと。・・・・こういう 「へ~」っという話もよかった。
 無理を頼んで、奈良県無形民俗文化財の“祭文”も少し語ってもらえた。♪♪ デレレン デレレン デレレン というそれは、江州音頭の祖先に違いない。
 無縁社会を実感する昨今、体の奥底に微かに思い出すような遠い故郷の感触を呼び起こしてくれるひと時だった。
 今日の行事は“奈良ひとまち大学”。スタッフの方々も親切で満足だった。
 27日追記
 「足踏み式の米搗き機なんて農家なら何処にでもあったよ」と妻の言。ただし、妻の記憶では「餅つきに使っていたのは知らん」とのこと。こういう話になると「町の子は何にも知らんのやな」と何時も妻に馬鹿にされています。

2010年12月22日水曜日

大阪の雑煮と奈良の雑煮

 入所している母が「正月の雑煮はどういうものか」と職員に尋ねまくっているので施設の中で大きな話題になっている。いわく「白味噌で、丸餅は焼かず、小芋と雑煮大根、金時人参に豆腐に花かつお」という厳密な希望らしい。さらに「二日目は澄ましで、焼いた丸餅と水菜と蒲鉾」とうるさい。いつの間にか入所者間で雑煮談義に花咲いているが、難聴と認知症で大騒動になっている。
 
 今日の朝日夕刊に奈良の雑煮が大きく載っていた。「味噌味に焼いた餅を入れ」までは普通だが、「その餅を小皿のきな粉にまぶして食べる」でオオーッとなる話が面白おかしく綴られている。  
 わが妻のルーツは大和。毎年「このきな粉雑煮が如何に美味しいか」という講釈を聞きながら食している。行事食としての伝承のことを除いて正直に言えば、きな粉雑煮は結構クールと言えよう。

 23日追記
 大正時代の堺の幼児に思い出してもらったわらべ歌は、
    ♪ 正月来たら 何うれし
     碁石みたいな あも 食べて
     割り木みたいな とと 食べて
     おこた に あたって ねんねこしょ ・・・でした。

 「お雪みたいな まま 食べて」については、「正月にご飯は食べないやろ」と一蹴されました。

2010年12月21日火曜日

冬至に柚子湯

 今日21日は東寺の終い弘法。
 四天王寺の大師会も同じ。
 友人のひげ親父は何れかの骨董市を渉猟しているに違いない。
 骨董市ではどう見てもゴミとしか見えないものも堂々と開陳されていて可笑しい。
 あの世界にのめり込むと底の無い怖さがあるが、もとより全く小遣いが無い身には取り越し苦労。

 四天王寺といえば、先日NHK BSの熱中スタジアムでタワーが論じられていたが、初代が1400年前に誕生、大都会のど真ん中でその最上階まで登ることの出来る四天王寺五重塔を忘れてはいませんかと言いたいが如何。

 明日は22日。天文年鑑2010年版によると
8時38分に太陽の黄径が270°になる由。
 幸い柚子はそこそこの出来。
 柚子湯だけは遠慮なく入れそう。

2010年12月17日金曜日

心は中世に(春日若宮御祭)

 奈良は一般に「大仏商法」(大仏様がいる限り何もしなくてもお客は来る)と言われ商売下手らしい。
 確かに今日は、三勅祭の内の一つであり、875年間欠けることなく(因みに葵祭は度々中断されている)継続されてきた春日若宮御祭(かすがわかみやおんまつり)(お渡り式等の日)であったが、(商売下手の)おかげで、その「松の下祭」(影向(ようごう)の松の前での儀式)を無料で至近距離数センチで堪能できた。
 このお祭りは貴族のというか国家のお祭りのため民俗的な面白みは少ないが、平安後期、お能成立前夜頃の細男(せいのお)や猿楽や田楽がそのまま奉納されるので心はたちまち中世に跳んでいった。大仏商法万歳。
 訂正!! 商売下手ではなく、子供たちと多くの大人はお渡り行列をチラッと見た後、縁日風のお祭りゾーンに群がり各種商売に相当貢献していた。そりゃ、中世の芸能よりも平成の刺激社会の方がパワーが違いますから仕方ないでしょう。



2010年12月15日水曜日

ふたご座流星群にお願いしたこと

今夜感動したこと二題

1 深夜から真冬並みの寒波と予報されているにも拘らず、10時近くの帰り道に草むらで蟋蟀が大きな声で鳴いていたのには驚いた。地球温暖化の証左に嘆くべきか、生物の進化・順応性に感心すべきか、判断のつかぬまま自転車(電動アシスト・トホホ)の上で感動した。

2 帰宅して、天気予報に反して晴れ上がった夜空を眺めると、予想どおりのふたご座流星群が本当に現れた。
 これまでも少なくない流星群の予想がテレビや新聞で報じられたが、なかなか見事な流星群にはお目にかかれなかった。
 「本当に流れているで」と妻を誘い出し、二人で夜空を眺めながら、「流れた」「お願いしたか」「今度はあっちや」と、恥ずかしいほどはしゃいだ。
 我が家の此の頃のお願いのパターンは「大難小難、大難小難」だが、これは「難」は避けられないけれど、大難になるところをどうか小難でお願いします。大難になるところを小難で済んでありがとうございます・・といったところ。当事者としては、我が家も丸くなったものだと自分で自分を誉めている。ハッハッハ

2010年12月11日土曜日

古代にタイムスリップ

 10日は12:50から17:50まで百済文化国際シンポジウムに出席した。16:50終了予定であったものが会場の奈良教育大学を出たときには真っ暗な奈良公園であったという充実ぶりで、「熊津時代の百済と倭」など余程復習しないと消化不良になる程豊富な内容だった。

この行列、お笑いください。
 11日は大田皇女(おおたのひめみこ)の墓である可能性の高い越塚御門(こしつかごもん)古墳現地見学会と、折角の機会であるので再度自分の目で確認しておきたい幾つかの飛鳥の遺跡をじっくりと巡ってきた。
 それにしても飛鳥の懐は深く、あちらこちらに〇〇塚と伝えられている丘がいっぱいあり、もちろん未調査となっている。一方で、亀型石造物や今回の越塚御門古墳など、全くノーマークの場所を掘っていても大発見が度々あるというのであるから歩いていても背中がゾクゾクする。
 越塚御門古墳などは、つい3ヶ月前に八角墳確定で斉明天皇・間人皇女合葬陵だろうといわれた牽午子塚古墳の中ともいえるところにあったのだから、もちろん「先の大発見」のあった3ヶ月前には誰も予想もしていなかったのだから驚くばかりだ。

 以前に故網干善教先生宅の近所に住んでいたことがあり、先生から関大の学生を連れて高松塚の発掘作業を行い例の大発見をしたときの話を伺ったときも感動したが、そういえば、高校時分の歴史の故林先生が、通常の授業内容よりも山根徳太郎博士の難波の宮発掘調査の大極殿発見のエピソードを熱く熱く語っていた姿が昨日のように思い出される。
 概して歴史家は簡単にその時代にタイムスリップできるようだ。考古学の水野正好大先生などは、今しがた卑弥呼を見て来た様に話されるので大人気者である。
 
 なお、今回の越塚御門古墳の石槨のラインは牽午子塚古墳の石槨のラインと大きくズレていた。石槨と墓道のラインも少々ズレていた。これについて「慌てて作ったからか」と新聞で解説しているものがあったがそうだろうか。真実は細部に宿るというから軽々に被葬者を特定したり、日本書紀の記述内容を信用するのはどうかと思う。今夜もなかなか眠れそうにない。



2010年12月7日火曜日

照紅葉

(1) いつもは「こんなこともあろう」と見過ごしてきたが、モミジの木の天っ辺あたりが鮮やかな緑色でその下が紅葉している様は、立ち止まって眺めて見ると不思議でかつ美しい。
 普通には天っ辺から紅葉が始まり下にいくほど黄色、緑とグラデーションを描くのに、何かの理由で早々に天っ辺あたりが落葉し、その後出た新芽が大きくなったらしい。
 欧米人に比べて紅葉が好きだといわれている日本人のことだから、こういう(逆転の)現象にも粋な名前など与えて一句捻ったりしていないかと調べてみたが、浅学のため見つけられていない。
 どなたか、ご存知の方には御教示お願いします。
 写真は、少し盛りを過ぎてしまったためパッとしないが、実際には惚れ惚れするような紅葉の一形態です。

(2) 昔々若かりし頃、盛岡に到着したときに、街路樹にビニール製のケバケバしい造花(葉)が着けられていたので「なんと風情の無いことよ」と感じたが、よくよく見ると本物のななかまどの紅葉だったので、東北の紅葉のスケールの大きさに本当に腰を抜かさんばかりに驚いた。(誤解した盛岡の皆様すみません。)
 この印象があるので庭にななかまどを植えてはみたが、小さな庭に昔の記憶を復活させられぬまま、鉄砲虫か何かのため枯らしてしまった。
 毎秋紅葉の季節になると古い盛岡での想い出がよみがえる。

2010年12月6日月曜日

會津八一の愛した古都

 和歌にも書にも全くの門外漢ながら奈良県立美術館の「會津八一(あいづ・やいち)のうたにのせて」を昨日覗きに行った。
 これまでに何回か會津八一を熱く語る浅田隆先生の講義を聴いた記憶と、南都(奈良)のそこかしこの御寺にあった會津八一の歌碑の記憶に誘われての散歩気分である。
 途中に30分程度のビデオ放映があり、そこでぐっすり午睡がとれたのに満足したなぞという本音を言えば主催者はうんざりするに違いないが・・・、誤解の無いように付け加えれば、展示内容が不満ではなく当方のレベルの問題である。
 と言うよりも、出口を出た折には十分満足して紅葉の奈良公園の散歩に移ったことを強調しておきたい。
 と言いながら、高速餅つきの中谷堂で草餅を一つだけ求め、それを夫婦で半分ずつ食べながらの散歩は、會津八一や和辻哲郎のそれとは程遠く、我ながらその軽薄さが恥ずかしい。

 秋篠寺にて(會津八一)
  あきしのの みてらをいでて かへりみる いこまがたけに ひはおちむとす

2010年12月4日土曜日

植木屋! 金返せ!!

これがレインボーメープルの紅葉??
 品のないタイトルで恐縮、恐縮。

 今年は紅葉の当たり年、どの地の紅葉もすばらしい。
 ハイキングの折の踏まれそうな道端に生えていた赤ん坊から成長した庭の片隅のモミジでさえ感心するぐらいです。
 ところが我が家のシンボルツリー(のはず)のトウ カエデ・・・
 ここ10年、毎秋ごとに標記のとおりの品のないタイトルを叫んでいます。

 貴方は確かに仰いましたよね。「日本の四季を敏感に感じとり、七色に葉色が移り変わり、芽吹きのときはピンク、そして白、少しずつ緑が濃くなり、秋には赤、橙、紫紅色と彩り豊かに紅葉が楽しめます。だからレインボー メープルと言うのです。」と・・・

 それが、チョッと チョッと、どんぐりの雑木でさえ、もう少し風情がありますよ。
 紅葉が楽しめないレインボー メープルなんて・・・

 こんな失敗ごとに・・、妻は「お父さんの何時もの事」と平然としています。

 追伸  庭の片隅のモミジのうしろでは、朧梅が選手
    交代のスタンバイをしています。
       朧(蝋)梅は、蝋細工のような光沢のある黄色
    い花ゆえ・・という説もありますが、やはり朧月に
    咲くから朧梅でしょう、・・にしては我が家の朧梅
    は毎年少し気が早すぎます。