「汲」は水をくむ以外に相手の気持ちを知るという意味もあり、「汲古」で昔のことを調べるという意味がある。
「得」はえる、うる、とる。そして知るとの意味もある。
「新」はあたらしい。・・で、やはり温故知新と変わらない。・・が、汲古得新の原典は見つからなかった。
人生のめぐりあわせというものは全く妙なもので、日本史など全く興味のなかった私だが、生駒山の東に転居してから、古都奈良の寺社や遺跡などに親しむと同時に、奈良大学の故水野正好先生の話を聞く機会を度々得た上に、後には平城京などの発掘の経験豊富な小笠原好彦先生の講義を学ぶ機会を得て、近頃は古代史の書籍の逍遥と、自分なりにああでもないこうでもないと愚にもつかない仮説を立てて見たりすることを趣味にしている。
今般その小笠原先生から、事前に申し込んでいた写真の新刊書を送っていただいた。
内容の要点は講座で学んだはずのものだが、情けない記憶力ゆえ、実際の感覚としては初めて学ぶ感じで読みつつある。
中国の古典もそうだが、歴史は決して古臭いものではなく、千年以上昔の人間も現代人と変わらないと思うことが多い。それこそ汲古得新だ。
一例をあげれば、孝謙上皇と道鏡の政治を改革しようとした藤原仲麻呂は近江守であったが、孝謙側のクーデターに対してとりあえず近江の国庁めざして逃走したが、孝謙側騎馬隊が先に勢多橋を焼いたため国庁に辿り着けなかった。
仲麻呂は近江守ではあったが自ら近江の治世には熱心でなかったことが仇になったのではないか。なぜなら、近江の実情に通じていたなら、湖西に逃げるのでなく、勢多橋南の供御瀬の浅瀬を渡って国庁に辿り着け、大いに軍勢を再建できていただろう…というようなことは、高級官僚ではあるが、国家公務員の姿勢の問題として現代にも通じている。
ただそんな話は歴史の少し側道のようなことで、講義の中で知ったがこの本には書かれていない。
この年末年始にゆっくりこの本の読書を楽しみたい。
興味の湧かれた方には一緒に読み進めませんか。
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