2023年11月21日火曜日

蛇足ながら

   20日に高所恐怖症の所以について少し感想めいたものを書いてみたが、その前文で蛇について触れたところ、スノウ先輩から白龍弁財天についてコメントをいただいた。
 そこで、少し理解を深めようと南方熊楠の十二支考の「蛇に関する民俗と伝説」を読み返したが、熊楠の話はいつもどおり世界各国の膨大な事例に及んで、頭がクラクラしてまとまらなかった。
 なので、この国の、さらに古事記・日本書紀に限って1点だけピックアップしてみる。

 舞台は三輪山の麓、纏向の箸墓古墳周辺である。
 考古学的にはわが国最初の巨大前方後円墳である箸墓古墳は「古墳時代」の第1号とされていて、宮内庁は第7代孝霊天皇皇女倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)の墓と治定しているが、少なくない歴史学者は卑弥呼の墓ではないかと指摘している。
 で、ここは記紀に沿って倭迹迹日百襲姫命として話を進めると、十十日で百で百回襲われた姫という名になるが、三輪山の大物主が毎夜(百日?)通ってきたが、姫が「お姿を見たい」と言うと「明日の朝、櫛笥の中を見なさい。ただし決して驚かないこと」と答えたため、翌朝櫛笥を開けてみると小さな蛇が入っていた。
 姫が約束に違えて、驚いて声をあげたところ、蛇(神)は麗しい男になり「恥をかかせた」と三輪山に帰ってしまった。
 そして、三輪の神に恥をかかせたと恥じた姫は、箸でホトを突いて死んでしまった。故に箸墓という。

 旧約聖書が蛇をサタンとしているのに対して、瑞穂の国の記紀神話は、国を造った神の正体が蛇だというのだから、その落差に驚きを禁じ得ない。
 瑞穂の国、つまり水稲稲作民族の国では水地帯を好む蛇は身近な存在であり、倉を荒らすネズミを喰ってくれる蛇は「益虫」(蛇は虫偏)と理解されていたのではないか。
 と言いながら、私は蛇は苦手である。私のDNAには樹上類人猿の記憶が残っている。

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