2023年8月15日火曜日

お盆

   「お盆にはご先祖の霊が帰ってくる」などということは信じていない。
 古い古い仏典にそのように書かれているのは、法華経方便品がいみじくも指摘しているとおり、「人を見て法を説け」なる「方便」だと思う。

 そう言ってしまえば、先祖供養、追善回向が大きな柱となっている日本仏教の土台が崩れそうだが、私のような俗人が日々の生き方を自省するには、そういう外からのしきたりのようなものを利用するのも大いに有効と考えている。

 大方の仏教宗派でもホンネのところはそうではないのかとも思うのだが、よくは知らない。

 そもそも世間を騒がせて人の人生を無茶苦茶に壊している旧統一協会はキリスト教の教義を多く取り入れているが、日本において多くの被害者が出ている背景には、日本の土俗に似た先祖供養、追善回向の思想(教義)の浸透に上手く乗ったことがあるのではないだろうか。

 少し極論だが、お盆に先祖が帰ってくる論を教条的に絶対視すると、縁者に成仏できていない霊がいる、厚く供養しないと祟りが続く、そのためには高額の献金や壺の購入が必要だ・・に行き着くような気がしている。だから教条原理主義は危険性を含んでいる。

 で、元に戻ってお盆というしきたりである。年中行事と言ってもよい。大いなる俗人たる私は、帰ってくるはずもない先祖を迎える迎え火を焚いて、日頃忘れている先祖の思い出を反芻し、とりあえずの日々の暮らしを感謝するのである。
 これが唯物論者であり仏教徒である私の気持ちである。
 南無毘盧遮那仏様ありがとうございます。合掌。
 「南無毘盧遮那仏様」のところはそれぞれが親しく感じている神様仏様でよいのでないか。

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