この二つの年月日のズレも歴史的には重要だが、今回このブログでは深入りしない。
その8月15日を前にして先日来読んできた写真の本「保坂正康著『歴史の定説を破る』」の感想の一端を書いてみる。
明治維新以降の日本の近代史は戦争の連続だった。
その近代という歴史、それに続く現代史の「定説」はほんとうに事実、真実なのか。テーマは面白い。
池乃めだかがチンピラにボコボコにされたとき、「よっしゃ今日はこれぐらいにしといたるわ」と言うギャグをふと思った。これが読後の日本という国の印象だった。
日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦、そして反対の意味でも第二次世界大戦後の日本という国のこと。
国民たる観客は池乃めだかの空疎な負け惜しみは知っているが、前述の戦争では軍部や政府などのフェイク(虚偽説明)を信じたものも少なくなかった。
半藤一利さんの本にも朝日新聞の例を牽いて次のような件(くだり)があった。🔳「準戦時状態に入るとともに新聞社はすべて沈黙を余儀なくされた」とお書きになっていますけれど違いますね。沈黙を余儀なくされたのではなく、商売のために軍部と一緒になって走ったんですよ。こう言っちゃ身も蓋もないけれど、いまのマスコミだって、売れるから叩く、売れるから持ち上げる。🔳
保坂正康さんは、池乃めだかの負け惜しみギャグに似た軍部や政府のフェイクを「擬態」と書いておられるがナルホド。
その「擬態」を史実としたから次々に日本は間違って行ったという指摘。
著者は終戦間際のソ連も、そしてアメリカの酷薄な二面性も指摘されている。
そして歴史の継承ということでは日本は非常に甘いと警鐘を鳴らしている。
先日の広島、長崎の式典では核抑止力論が厳しく批判されたが、政権与党の自公に加えて維新や国民は核抑止力論に立っている。
著者は「核抑止力論に立てば世界中の国が核兵器を持つことを容認しなければならない」と訴え、その戦争では「人類が敗者になる」と警鐘を鳴らされている。
プーチンの侵略をどう止めさせるのか、新しい理論と行動を早急に打ち立てる必要がある。この本、一読の価値あり。
8月12日というと現代史の続きで・・、1985年8月12日に御巣鷹山で日航機墜落事故が起きてから38年が経過した。ちょうど東京本社あたりで用事のあった大阪支社の役員や社員が少なからず犠牲になったので、労災事故の対象となる労働者性について私も調査等に飛び回った。
そしてこの事故は、山崎豊子著『沈まぬ太陽』の最終編でも詳しく取り上げられた。
『沈まぬ太陽』のメーンテーマは事故ではなく、戦後の現代史でもある。小説というよりもルポルタージュだと思われる。
若い方々には名著『沈まぬ太陽』は是非とも読んでほしい。そして今ある現実の社会を見つめ直してほしい。
ウクライナの犠牲者や日航機事故の犠牲者に頭を垂れて・・・。
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