2022年2月26日土曜日

現代と2.26事件

   今日
1936年(昭和11年)に起ったクーデター未遂事件である226事件の日である。このことに関しては20181113日火曜日に『石原莞爾と226事件』というタイトルで少しだけこのブログに書いている。
 
 ところで226事件と日本近代史に関しては、現下のロシアのウクライナへの介入を見ていると、他国(清)の一部(満州)に傀儡国家をつくるとか、傀儡政権(当時の満州国や朝鮮)の要請の形をとり出兵するとか、まるで戦前の大日本帝国の悪しきコピーのように感じられる。
 
 また国内では、維新を名乗る政党がフェイクニュースを繰り返し、憲法改悪(壊憲)の牽引車の役割を果たしているが、維新、当時の元号をとって「昭和維新」は、議会の権限縮小、軍部独裁政治の旗印であった。例えばナチズムの時代のキャッチコピーを堂々と政党名にするなど、ドイツでは考えられないようなことが現実に起こっている。
 
 このため、好きではない日本近代史も勉強しなければと大いに反省しつつ、主に2018年のブログ記事を再録に近い形で以下に書く。
 
 澤地久枝著『昭和史の謎・226事件最後の秘録 雪はよごれていた』は、東京陸軍軍法会議主任検察官匂坂春平の遺品の中にあった片手では持てないほどの資料を読み解いたものである。そして、陸軍中央の犯罪(クーデター計画)に迫りながら、あと一歩のところで適わなかった「文官」の無念の記録である。
 
 いわゆる青年将校たちは、不況による国民の疲弊困窮、社会の矛盾などへの怒りを、武力による国家改造という夢に託して「反乱」を計画し、その動きを、陸軍の中の派閥の一つ「皇道派」の面々が陰に陽に煽り立てた。
 
 ところが昭和天皇が、自分を輔弼する重臣たちが襲われ、虐殺されたとき、周囲の慎重論を押し切って「朕ガ股肱ノ老臣ヲ殺戮ス、此ノ如キ凶暴ノ将校等、其精神ニ於テモ何ノ恕スベキモノアリヤ」と不快感と怒りを表明した途端、陸軍の皇道派軍人たちは豹変し、自分たちは青年将校の激発に唖然としたことで正しい判断をするのが遅れたというポーズをとり、責任は青年将校と相談役となった思想家たちのみにあるとされ、軍の高級将校たちは清廉潔白ということになった。
 
 このように226事件は陸軍中央が大いに関与したクーデター計画であったが、それ故に真相究明によっては陸軍が空中分解しかねないものであったため、匂坂春平は陸軍高官の嘘やすっとぼけを追及するのだが、結局は現場の将校が死刑(口封じ)にされて一件落着となっていった。ああ「森友事件」と同じだ!と感じるのは私だけではないだろう。
 
 森友事件では「知らない」「忘れた」「記録はない」「廃棄した」はては「部下が勝手に改竄した」という大嘘があったが、226事件は軍部のことである。例えば226事件で陸軍幹部たちは「陸軍大臣告示」なるものを知った時刻、官邸に到着した時刻等について「時刻は判然(はっきり)いたしませぬが」「参謀であったと思いますが、あるいは違うかも知れません」などとのらりくらりと述べている。
 
 そも軍隊の作戦命令等で陣地を挟み撃ちにする場面であれば、1分以下の単位もおろそかにできない。時刻の指定や記録は絶対である。A部隊には〇時〇分に突入せよと言って、B部隊にはA部隊の反対側から『〇日の昼から合流・突入せよ』などということはあり得ない。軍隊にとって時刻は絶対で、曖昧さやニュアンスによって忖度せよという表現はありえない。
 それを揃いも揃って、口裏を合わせてむにゃむにゃむにゃと検察官に述べているということは口裏を合わせて重要事項を隠したということである。
 
 戦後レジームからの脱却を言い「昭和維新」を吹聴した戦前回帰を露骨に表明している安倍内閣が、揃いも揃って大嘘をついたお手本は、なるほど昭和初期の軍隊に既にあったのかと妙に感心する。
 
 226事件の資料は、陸軍省が空襲で焼けたのは事実だが、その時点では帝国陸軍の機能はまだ「健在」だった。重要記録は疎開されていた。しかし敗戦の後、占領軍到達以前に軍人自ら『226裁判記録』を焼却した。・・著者はそう断言している。全く同感だ。
 
 戦前の負の歴史について「証拠を見せろ」と叫ぶ人間は、「天網恢恢疎にして漏らさず」のとおりある史料にシラを切り、戦前の悪行で吸った旨い汁を目論んでいる人だ。

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