2022年2月15日火曜日

天使のプレゼント

   日曜日の夕食前「おとうさんがおかしい」と妻が電話で呼んで娘がやってきた。
 私には心当たりはないのだが、その日にあったことを「知らない」とかトンチンカンだったらしい。

 そういうことが1時間ほどあったらしいのだが、その1時間の記憶は全くない。お酒は飲んでいない。
 1時間後にはトンチンカンであった以前の記憶はほゞ回復したが、1時間の出来事は全く記憶が戻らない。

 そうして月曜日の朝一番に息子が来てくれて病院に行きMRIを撮ってもらったが、脳血管には異常はなかった。
 傷病名は『一過性全健忘』で薬もなく帰ってきた。
 病院通いは旧年中にみんな置いてきたつもりだったが、置き忘れていたことを忘れていたようだ。

 MRIの結果に妻が電話した娘も含めみんな安心したが、私自身は「認知症の体験入学」みたいで「これが認知症なら認知症本人は気楽なもの」のように考えたりした。
 認知症や介護の本には「認知症は天使からのプレゼント」という言葉がある。
 座敷童(ざしきわらし)も認知症の幻視で、東北では「あのおじいちゃんもわらしっこが見えるようになった」と長寿を寿(ことほ)ぐというのも読んだことがある。

 昔、古い女性の同級生が息子と喧嘩したときには「認知症になってやる」と脅すのだと言ったのも「なるほど」という吹き出しつきで思い出した。

 『一過性全健忘』は認知症とは結びつかないらしいが、いわゆる「もの忘れ」は近頃酷くなっている。近頃はマスク生活で曇るのでモンベルの眼鏡ストラップを付けて首に下げることがある。それが先日はスーパーで買い物中、下げている眼鏡がないので驚いて「眼鏡、何処いった!」と眼鏡をかけたまま妻に尋ねた。こちらの方が『一過性全健忘』より怖いかもしれない。

6 件のコメント:

  1. こんな事件にでくわしても、動転することなく、こんなふうに表現報告されるのはさすが貴殿、あっぱれ!!
    記事を拝見した私の方がパニクってしまいました。大事に至らず良かったですね。大いに参考になる報告ありがとうございました。

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  2.  お恥ずかしい。ということで、このような症状にあわれたときは皆さん落ち込まない方が良いようです。

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  3. どちらが先に呆けるかわからないが、出来得るならば「ニコニコとほほ笑んで呆けたいね!」と嫁はんと語り合っています。先日も主治医に「人工透析をするくらいならポックリと逝きたい」と言うと「皆さんそう言いますがそんなに簡単には逝きまへんで~」と笑われました。何とか「コロナ」には打ち勝ってやりたいことをやって逝きたいものですね。

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  4.  世間で起こっていることは別世界や他人事ではなく、明日は我が身だと思っています。そんなもので、友人たちにも参考になる時があるかもしれないと思って顛末記を書いています。
     ひげ親父さん、自分だけ幸せにポックリいけるかもというのはいわゆる正常性バイアスかもしれません。私はまだまだやることがあると思ってもがきながら生きるつもりです。

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  5. びっくりしました。私も一昨年位から岡山の山作業が辛くなり去年は家の周りの笹刈りが精一杯でついに自然の勢いに惨敗しました。売却を頼んだら即買い手が見つかりました。買い手は大阪に人で週末利用されるとの事。ストレスの溜る都会暮らしですがバトンタッチです。チョット淋しいですが退職後17年間楽しませていただきました。

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  6.  五木寛之さんの「下山の思想」ではないですが、下山はマイナスのイメージでないということでしょうか。多趣味のスノウさんのことですから、いろんな世界をご紹介ください。

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