2022年2月12日土曜日

紀元節の時代

   先日の記事で私は「建国記念の日」の”何を”歴史的に検証すべきかについて、西暦の紀元前660年に神武天皇が即位したことの検証ではなく(それが非科学的な神話であることは既に良識人の常識)、そういう神話を神話ではなく”歴史的事実として”一切の批判を許さなかった明治憲法下の政治と社会を検証すべきことを書いた。そこが「建国記念の日」批判の核心である。

 そういう良識的な意見に対して例えば曽野綾子氏は次のように否定した(2017年3月26日産経新聞)
 教育勅語を危険視する人たちは、口語文に訳せば「父母に孝行し、兄弟仲良くし、夫婦は仲むつまじく、友達とは互いに信じあい、他人に博愛の手を差し伸べ…」というような部分は故意にか欠落させている。これらのことは、いつの時代でも皆が言いたかったことだろうが、日教組教育ではとうてい実現しなかったのである‥と。

 これはやはり論理のすり替えであり、世の良識人は氏の引用した「価値観の部分」を否定などしていないし、教育勅語を使用しなくても教育の場で教えられている。「故意に欠落させて」論を展開しているのは氏の方であり、教育勅語は口語訳なら「しかし」「ただし」を入れて、「一旦緩急あれば義勇公に奉じ以て天壌無窮の皇運を扶翼すべし」と主題が展開され、治安維持法、不敬罪、拷問、虐殺、そして玉砕や特攻に導いたのである。

 安倍前首相らが主張する「これは歴史戦だ」と言うのは「言いえて妙」であり、その主眼は友愛の価値観ではなく、為政者のためには人権など制限されるのが当然だという社会の構築である。「建国記念の日」やその行事を批判しなければならない所以はここにある。

   「募ったが募集はしていない」という暴論や「ご飯論法」のすり替えを常としてきた安倍前首相とこれを支持する日本会議の論法はこういうところにも表れているし、過去の戦争については、敗戦時に膨大な関係書類を焼却したことを良いことに、枝葉末節の数字に異論があるなどといって、例えば南京大虐殺や従軍慰安婦や強制労働の全てが「なかったこと」にする主張も行っている。

 例えば従軍慰安婦については、「当時は公娼制度があり慰安婦は志願した娼婦であり性奴隷ではなかった」という主張があり、想像するにけっこう「説得力」をもって宣伝されている。また朝日新聞が事実と誤って書いた記事の元の吉田清治証言が後にあやまりだったことが判明するや「朝日の記事は”全てが”嘘だ」というキャンペーンが展開された。

 実際、いわゆる娼婦もいたと想像することはできる。だが、元近衛師団小隊長総山孝雄氏の『南海のあけぼの』(叢文社)の中の逸話には、シンガポールでのこととして、四五人すますと「もうだめです。体が続かない」としゃがみ込んでしまったので係の兵が「今日はこれまで」と打ち切ろうとしたら、外で待っていた兵士たちが騒然となり、止むを得ず女性の手足を寝台に縛り付け「さあどうぞ」と戸を開けた。順番になり入った兵(証言者)は縮み上がってほうほうのていで逃げ出た‥というのもある。戦前であってもこんな娼館はなく文字どおり性奴隷という外ない。

 産経新聞鹿内社長(当時)が『いま明かす戦後秘史』で、フィリピンを攻略した将校の報告として、「マニラ大学の女の学生は全部方々の島の豪族の娘だったが日本軍上陸で島に帰れなくなった」「寄宿舎にいるやつが孤立して、それを将校がいただくわけだ。それがいかにすばらしいかという報告で戦況報告が終わっちゃった」とも書いている。

 だから、戦後親日家として有名なシンガポールのリー・クアンユー氏も回顧録で「同じアジア人として我々は日本人に幻滅した」と書いているのだ。

 戦場には敵味方を問わず非人道的な行為があっただろう。だからといって大日本帝国とその軍隊の罪が許されることではない。こういう事実を認め反省することは自虐でも何でもない。そういう反省が前提になって、敵味方を問わず戦時暴力等を前向きに議論できると考えるのが良識である。

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