2017年9月9日土曜日

ヒトラーとナチ・ドイツ

   「風が吹けば・・・」的にいえば麻生太郎副総理のおかげで私は少し賢くなった(ような気がする)。
 9月2日に書いたとおり、麻生副総理は2013年に憲法改正をめぐって「ナチス政権に手口を学んだらどうか」と発言し、この829日には「少なくとも(政治家になる)動機は問わない。結果が大事だ。何百万人も殺しちゃったヒトラーは、いくら動機が正しくてもダメなんだ」と、つまりはホンネを訳すると「ヒトラーの政治の結果は駄目だが動機は正しかったと思っている」と発言した。

 念のために指摘するが、麻生太郎は国の副総理であり、安倍総理は彼の責任を全く問わなかった。
 それが現代日本の現実の姿だった。
 なので、この問題は簡単に批判するだけでは終われない。私はそう思った。思慮の浅い老人が口を滑らせたと信じるのは同程度に思慮が浅くはないだろうか。

 だとすると、ヒトラーの政治は、麻生太郎が「撤回した」とはいうものの、そんな例え話に使えるような軽い「ミス」だったのだろうか。そして、近代日本がお手本にした当時の最文明国ドイツにどうしてヒトラーが誕生したのか。過酷なヴェルサイユ条約だけが遠因だったのか。
 もう一度じっくりと復習する必要性を私は強く感じた。
 ということで、石田勇治著『ヒトラーとナチ・ドイツ』(講談社現代新書)を購入した。

 よく同輩から「目も悪くなったし新聞だけはしっかり読んでいるから単行本を読むのはどうも・・」という声を聞いたりするが、やっぱりものごとをしっかり理解するには本を読まなければ・・と痛感したというのが私の感想。
 本書の章立ては・・、
 第一章 ヒトラーの登場
 第二章 ナチ党の台頭
 第三章 ヒトラー政権の成立
 第四章 ナチ体制の確立
 第五章 ナチ体制下の内政と外交
 第六章 レイシズムとユダヤ人迫害
 第七章 ホロコーストと絶滅戦争  ・・となっている。

 また、帯のコピーには・・、
〇 ヒトラーは、いかにして国民を惹きつけ、独裁者に上りつめたか?
〇 なぜ、ドイツで、いつのまにか憲法は効力をなくし、議会制民主主義は葬り去られ、基本的人権も失われたのか?
〇 ドイツ社会の「ナチ化」とは何だったのか?
〇 当時の普通の人びとはどう思っていたのか?
〇 なぜ、国家による安楽死殺害やユダヤ人大虐殺「ホロコースト」は起きたのか? ・・と書かれている。

 363ページに及ぶ内容をここに記すのは無理なので、興味を抱かれたなら購読されて損はない。

 この本のどこにも現代日本社会のことは触れられていないが、私は読みながらあちこちで日本維新(大阪維新)を思い浮かべた。そしてアベ政治を。日本会議を。この自然と湧き出てきた連想は自分でも予想外のことだった。あまりに似すぎている。あまりに麻生副総理の指摘は当たっている。
 はっきり言えば「手口を学んでいる」。
 麻生太郎は馬鹿ではない。この国は高度なオブラート(手口)に包まれながら、着実に昭和前史に回帰している。本を読みながら心拍の高鳴りを抑えることができなかった。

 最後にカバーの文章を転載する。
 ナチ時代のドイツを考えるうえで見落としてはならないもうひとつの論点は、ヒトラーとナチ体制が人びとを惹きつけた「魅力」についてである。ヒトラーのカリスマ的支配の拠り所がその国民的な高い人気にあったことは、よく知られている。だがそれは、どのように生み出されたのだろうか。
 ナチ体制は「民族共同体」という情緒的な概念を用いて「絆」を創り出そうとしただけでなく、国民の歓心を買うべく経済的・社会的な実利を提供した。その意味で、ナチ体制は単なる暴力的な専制統治ではなく、多くの人びとを体制の受益者、積極的な担い手とする一種の「合意独裁」をめざした。このもとで大規模な人権侵害が惹起され、戦争とホロコーストへ向かう条件がつくられていったのである。

 この指摘している諸事実は重い。
 ナチズムを反省するということは、人間とは、人生とは如何にあるべきかという問でもある。
 殺されるのも嫌だが、殺す側も嫌だ。そういう二者択一を迫られる前に行動することの重要さをしみじみと感じさせる本だった。

 少し前の段落で「興味を抱かれたなら購読されて損はない」と書いたが、それは麻生太郎副総理に倣って撤回する。
 私の感覚では、現代はナチズムの台頭した時代とあまりに似すぎている。
 無能な保守派が自分たちの利益のためにナチを「利用しよう」として母屋を取られること。マルティン・ニーメラー牧師の反省のとおりに良識が分断されることの負の効果。ヘイトスピーチやその行動を権力者が事実上擁護することの先にある怖さ等等等・・
 なので、世の中や人生というものを誠実に考えてみたいと思われるなら、コーヒー2杯分ぐらいでこの本を購入されることを心から是非ともお勧めする。

 ユダヤ人が虐殺されていく中で「元ユダヤ人の家屋に入れた」「会社内でユダヤ人がいなくなってそれらのポストに出世が出来た」と喜ぶ声が生まれ、”あの”ドイツ人たちが90何%ナチを支持したのだ。これらの機微を理解できないと次なるナチズムは簡単には止められない気がした。
 熱狂する社会の恐ろしさを分析する旅に終わりはない。
 そして、当面する堺市長選挙で維新候補を破り、竹山市長再選を目指す意義は大きい。

    眠られぬナチの本読む夜長かな

3 件のコメント:

  1.  読者の皆さんは「長谷やんは心配性やな」と嘲笑われていることでしょう。
     しかし、私は私の記事を「まだ甘すぎるのではないか」と反省しています。
     どちらかというと保守派の歴史家のイメージがある半藤一利氏の近著に次のような指摘を見つけました。半藤氏の分析に頭が下がります。
     ・・「憲法改正は静かにやろうやと。ある日気づいたら、ワイマール憲法はナチス憲法に変わっていた。誰も気づかないで変わった。あの手口に学んだらどうかね」・・平成25年・・このときマスコミはかれの歴史の無知をからかっただけですましてしまった。迂闊でした。もうこのところから安倍晋三首相ら権力者グループは、いかに憲法を骨抜きにするか、検討をかさねていたのでしょう。その密議のなかで、ナチスのこうした水際立った手法が話題になっていたのだと思います。それを聞きかじった麻生大臣が、よく理解できぬままポロッとしゃべってしまった・・

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  2.  ポロッと喋ってしまった麻生の後ろにいる安倍、その後ろにいる集団が怖い、そして何よりその影に怯え、モノを言わなくなってしまう事が一番怖い。小さな力ではあるが発言し続ける長谷やんに最大限の敬意を表します。私も書きます。

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  3.  本文の最後の段落で触れたことを本の中から念の為拾ってみる。
     同僚のユダヤ人がいなくなった職場で出世をした役人、近所のユダヤ人が残した立派な家屋に住むことになった家族、ユダヤ人の家財道具や装飾品、楽器などを競売で安く手に入れた主婦、ユダヤ人が経営するライバル企業を安値で買い取って自分の会社を大きくした事業主、ユダヤ教ゲマインデ(信仰共同体)の動産・不動産を「アーリア化」と称して強奪した自治体の住民たち。無数の庶民が大小の利益を得た。
     ・・大都市で大掛かりな都市改造・・では多くの市民が立ち退きを迫られたが、その代替住居・・の居住中のユダヤ人の住居を遠巻きにして見て希望する「新居」を決めていた。・・このように隣人もほとんどの場合、見て見ぬふりをした。・・・等々
     この部分の小見出しは「共犯者となった国民」。
     ひげ親父さん指摘の「モノいわぬ庶民」はある朝以降「共犯者」にならないと誰が保証できるだろうか。そのためには、大論文でなくても、発言し続けたいと思います。

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