2017年9月15日金曜日

堺という街

 春に退職者会の遠足で堺の街を散策したとき、堺市役所21階展望ロビーで「この道から北が摂津の国、南が和泉の国、その神社の東が河内の国。なのでこの丘が三国ヶ丘で、だからこの街が堺(※くにざかいの意)」と説明すると意外に皆に感心していただいた。
 ということは、世間ではそれほど知られていなかったということになる。

 私の好きな中世史家・網野善彦氏の著作に『無縁・公界・楽』という有名な本があるが、そこでは国境(くにざかい)にそういう無縁、公界、楽が生まれ、アジール(平和領域)となり自治都市に発展したものが少なくないとあって、私は堺の街を思い浮かべて妙に感心したことがある。

 国境線には多々変遷があるが、近現代の和泉(泉州)も概ね泉北丘陵~和泉山脈の西側、海寄りがそれで、東側の南河内とは割合はっきり分かれていた。
 ところで、先日来度々高速道路の堺ICを降りて大阪狭山市に向かったが、妻や子どもたちに「ここまでが泉州堺、この先は南河内」と言ってもキョトンとするばかりに地形は変わっていた。
 きっと都市化によって気候も変化しているものと想像するが、若い頃、堺の市街にあった高校に「岩室」の同級生が「雪のため登校できなかった」ことに驚いたことを思い出す。街も変わるものである。

   変わるといえば海側のそれはもっと顕著で、白砂青松の海は今は一大コンビナートになっている。
 「お祖父ちゃんはここで泳いで貝を採って食べてたんやで」と言っても子や孫には想像もできないだろう。
 そのように、まるで生き物のように街は歴史を積み上げ成長する。

 平成の大合併とやらで新しい名前の都市が増えたが、耳で聞いても地図上の位置が出てこない。これはよくない。失政の見本である。
 「学芸員はガンだ」といった大臣同様、街の歴史を顧みることのできない政治家は金儲けの数字だけで組織をいじり、それで市民が幸せになるようなことをいう。その多くの数字も嘘である。

 維新の堺市長選挙の候補者は、堺を分割して大阪府(決して大阪都にはならない)に吸収する構想を持っているが言語道断である。選挙期間中だけそれを言わないのはカモフラージュである。
 大阪市長がカモフラージュだと述べている。

 先日堺市と同程度の人口規模を持つ東京都世田谷区長のことを書いたが、世田谷区長は住民自治の充実のためには都の中の特別区でなく政令指定都市にしたいと主張されている。真っ当な意見だろう。
 少しでも街の歴史や文化を大切に思うなら、堺市長選挙の選択は竹山市長の再選しか考えられないがどうだろう。
 
    がら入れと土鍋出したる白露かな

1 件のコメント:

  1.  前回の市長選挙の際、維新の代表でもある松井大阪府知事は、伝仁徳天皇陵(大仙古墳)にイルミネーションをつけようと主張した。
     あのとき維新の候補が勝っていたなら、百舌鳥古市古墳群の世界遺産国内登録は絶対になかったであろう。
     その男が、国内登録された途端、大阪府の手柄だと言い始めた。話にならん。

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