2017年9月11日月曜日

三角縁神獣鏡

   239年魏帝は卑弥呼を親魏倭王に封じ、返礼の下賜品に加え銅鏡百枚を賜与したが、列島各地から出土した三角縁神獣鏡(さんかくぶち(えん)しんじゅうきょう)はその銅鏡ではないか、いや三角縁神獣鏡は日本国内製であるなどと、邪馬台国所在地論争と絡んで大いに議論されている。

 その「景初三年、陳是作」という三角縁神獣鏡が大阪府和泉黄金塚古墳から出土したのは戦後のことで、母校の高校の「リキさん」という渾名の先生や学生(つまり先輩)らも幾らか関わっていた。
 なので、リキさんの「政治・社会」の授業では発見当時の感動を何遍授業で聴かされたことか知れないが、日本史を専攻していなかった私などは聞き流していたのが今にして思えば残念だ。人生はとかくそんなものである。

 それから50年以上たったのだが、学問というか勉強などというほどのことでなくとも、卑弥呼の鏡のいろんな推理は楽しい。
 そんなもので、以前から購入したいと思いながら本体2,400円という値段に些かビビッて専門書店の書架を眺めていただけの本があったが、今般、出版社である学生社が倒産して今後は手にすることが困難になりそうというので思い切って購入した。池上曽根史跡公園協会編『古代の鏡と東アジア―卑弥呼の鏡は海を越えたか―』執筆陣は、金関恕、新井宏、菅谷文則、福永伸哉、森下章司とシンポジウムである。
 
 濃密な論争も魅力的だったが、この本で特に新鮮だったのは新井宏の「鉛同位体比から見た三角縁神獣鏡」で、その精密な自然科学的な分析から、出土鉱山、生産時期、生産場所が特定できるというものだった。
 ただ、同じ紋様でも中国製の原鏡と倭製の複製鏡の問題や、何よりも金属には鋳潰して再利用する問題があるので、単純に卑弥呼が魏からもらったものかどうかの特定までは進んでいない。
 この本の話はそこまで。

 この本の購入直後、普通の書店の書棚で岡村秀典著『鏡が語る古代史』岩波新書というのを見つけたので、この本の続きで読んでみようと思ってとりあえず購入しておいた。
 新書は、鉛同位体比とは対極かも知れないが、徹底して中国における銅鏡の文字を一字一句読み解き、絵を比較して、年代と製作地域と担当した工人を特定するものだった。
 鉛同位体比以上とも思える緻密さを読むのにはくたびれたが、一つひとつ納得させられて読み進むのが楽しかった。

 以下に一部(要旨)を抜粋するが、興味のない方は読み飛ばしてほしい。

 三角縁神獣鏡の製作地をめぐる議論の中で、一連の「陳是作」鏡の銘文についていくつかの解釈が提出されているのでそれを検討する。(原文省略)
  景初三年に
  陳氏 鏡を作るに、自(おのず)から経術(けいじゅつ)有り。
  本(もと)より是(こ)れ京師(けいし)より、他地(たち)に出(いだ)す所なればなり。
  吏人(りじん)之(こ)れに照らせば、位は三公(さんこう)に至らん。
  母人(ぼじん)之(こ)れに照らせば、子を保ち、孫に宜(よろ)し。
  寿(いのち)は金石の如くあらん。

 四言の銘文は、第二行・第三行の「術」と「出(しゅつ)」が押韻し、第四・第五行は対句である。作鏡者の「陳是」は「陳氏」、「述」は「術」の仮借である。第二行は淮派の画像鏡にみられた「尚方作竟自有術」などをもとに「ただしい」という意味の「経」を加え、四言句に改変したものである。つまり、これは「陳氏がつくった鏡は正しい規範を内包している」という通有の銘文であり、「自(おのず)から鏡をつくる経歴を述べる」という(倭製論者である)王仲殊の解釈には無理がある。
 第三行の上句「本是京師」は字釈に異論がなく、「正始元年」鏡との対照によって「是(し)」は「自(じ)」と、「京(けい)」は「荊(けい)」とそれぞれ通じている。「京師」は首都を意味し、魏の都洛陽にほかならない。
 問題は下句で、字形が鮮明でないため字釈が分かれているが、光武英樹説が穏当で、「もとより都の洛陽から他の地に輸出するところのものである」という意味であり、はるばる大海を渡って朝貢してきた倭王卑弥呼に贈るものとして制作されたと解釈できる。

 引用したい説は多岐にわたるが、興味あるお方は「新書」を購入してゆっくりと読んでいただきたい。

 私の銅鏡の旅は緒についたばかりである。
 昔、33面の三角縁神獣鏡が出土した天理市の黒塚古墳をみて、その鏡が被葬者の方に鏡面を向けていたことから、これは「被葬者が蘇って害を及ぼさないように」封じ込めるために祈ったものとの説を信じていたが、中国での発掘でも鏡面を被災者の方に向けているものが幾つも出ているので、やはりごく普通に「邪魔をされずに黄泉の国に行けるように」という僻邪の信仰ではないかと考えなおしているところである。

 「服(ふく)する者は・・不祥(ふしょう)を辟除(へきじょ)せん」というような鏡の文言も、さらに西王母などの神や、四神などの獣の絵も道教の信仰である。
 「日本には道教は入ってこなかった」と大先生があちこちの書物に書いておられるが、偏見を捨てて素直に直視すれば、ほとんどの神社で銅鏡を御神体としている日本の神道が大いに道教の上に成り立っていることは明白だ。
 サッカー、ナショナルチームが三本足のカラスを胸につけているのは、当事者の皆さんが知っているのか知らないのか知らないが実に微笑ましい。

    どぶろくや夫婦揃ってぷはといふ

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